誇り高い台湾人、台湾出身日本軍将兵
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/12/20 13:10 投稿番号: [43770 / 230347]
>>台湾人は、日本軍の士官になる事も出来なかった。
間違いと思う。 40年ぐらい前に、元帝国陸海軍の台湾人元(下級)士官に何人も会って話を聞いたことがある。 士官でないかも知れないが、李登輝氏も見習士官だったはず。<
台湾の方々は、朝鮮人等とは明確に相違し、自らの歴史を大事にし、誇りをもっておられますね。
胸が熱くなります。
朝鮮人の如く、『戦勝国云々』等と惨めな事も言わず、前大戦の戦死者の事も大変、大事になさっています。
『陸軍士官学校に(朝鮮人はいるが)台湾人はいないと言う「説」が流布しているが、実は戦争末期に若干名入学している。
1.陸軍予科士官学校『第六十期生徒名簿』「第九中隊第九区隊」に「台湾・蘇○秀」の名前あり。
ご本人とは兼ねてより面識があるので、受験の背景などを聴取済み。
2.同氏によると、その頃、数名の台湾人が日本名で入学している。
3.別途、中途編入も数名いるようであるが、最終確認はとれていない。 』
『大東亜戦争に元日本軍人・軍属として従軍し、殉職・戦死された3万三百余柱の台湾の人々の中で戦死が確認された二万七千八百余柱 の方々が護国の神として日本の靖國神社に祀られているが、台湾には祀られていなかったのである。
台北市北西の新北投温泉にある日本人墓地の中和禪寺に台湾出身英霊を 祀る慰霊碑が一九八三年六月二十一日に建立された。
碑文には「萬善孤魂光明、遍照萬華法霊」と刻まれている。
その後、戒厳令解除を契機に、日本軍に志願した台湾戦友会は日本の戦友会「中日南星会」 「中日海交会」の協力を得て、台湾の中央に位置する台中市北區健行路一四〇號にある「寶覺禪寺」に一九九〇年十一月二十五日 有末精三氏(陸軍中將)の筆になる『英魂觀音亭』を建立し、その傍に東郷神社宮司 筑上龍男氏の筆 になる『英靈鎭魂』及び
李登輝前総統の筆になる『靈安故郷』の慰霊碑を建立した。
そこには「第二次世界大戦期間日軍征赴海外殞身台湾 同胞英魂碑 李登輝敬題」と書かれている。今では誰となく台湾の靖国神社と呼ばれるに至った。
大東亜戦争に志願した台湾人
一九九七年八月十五日から、二ヶ月間、台北二二八記念館において"為何而戦? 為誰而戦?"をテーマに『台湾人の戦争展』が開催されたとの新聞報道を見た。当時の新聞の掲載内容は下記のとおり。
戦況が激しくなった昭和十七年四月から兵員補充のため、 「台湾特別志願兵令」が発せられ、台湾人としては、兵隊になれるという魅力に、
第一期陸軍志願兵募集選考には四十二万五千九百六十一名 (418倍)が応募し、難関の四科目(作文、国語、算数、国史)の筆記試験にパスした一千名であった。
翌十八年には千八名の募集に対して 志願者は六十万一千百四十七名(596倍)、昭和十九年には海軍志願者の募集も始まり、陸軍は従来の倍以上の二千四百九十七名を募集し、 その上、翌年から徴兵制が実施され、競争率は161倍に落ち込んだものの志願者は四十万人以上に上った。
昭和十九年までに、陸軍は四千二百名、海軍は一万二千名を採用、その後、最初の徴兵検査は昭和二○年一月に行われ、二万三千名が 四月に入営した。 中でも高砂義勇隊は大東亜戦争に際して、得意のジャングル戦で活躍した。
戦死が確認された二万七千八百余柱の方々が靖国神社に護国の神として祀られている。
李登輝氏と兄李登欽
前台湾総統李登輝氏の父李金龍(日本名:岩里龍男)は警察官で、李登輝氏はその次男として生まれ、客家に属し、日本名を「岩里政男」 といい、淡水中学四修で台北高校を経て京都帝大農学部農業経済学科へと進学した。
戦時体制下にあるため学徒兵として習志野陸軍予備士官学校に入校(司馬遼太郎氏と同期)、同年末、陸軍少尉 に任官した。
一方、兄の李登欽(日本名:岩里武則)氏は李金龍(日本名:岩里龍男)の長男として生まれ、淡水中學卒業後、 父の跡を継ぎ地元警察に勤務していたが、昭和十八年十月、海軍特別志願兵制度発足により時流に従い、昭和十八年十月、高雄・左営の 『台湾総督府海軍兵志願者訓練所』第一期生一千人の一人として高倍率をパスし入所。
六ヶ月後に海軍兵志願資格を獲得し『左営海兵団(陸戦隊)』に入営した。
李登輝氏は「私が学徒兵として台湾の高雄高射砲部隊に配属になった一九四四年に、 兄は左営の海軍基地に初年兵として配属されていたので、二人で会って写真を何枚も撮ったのが最後になりました」と述懐されている。』
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E05P0030.html
間違いと思う。 40年ぐらい前に、元帝国陸海軍の台湾人元(下級)士官に何人も会って話を聞いたことがある。 士官でないかも知れないが、李登輝氏も見習士官だったはず。<
台湾の方々は、朝鮮人等とは明確に相違し、自らの歴史を大事にし、誇りをもっておられますね。
胸が熱くなります。
朝鮮人の如く、『戦勝国云々』等と惨めな事も言わず、前大戦の戦死者の事も大変、大事になさっています。
『陸軍士官学校に(朝鮮人はいるが)台湾人はいないと言う「説」が流布しているが、実は戦争末期に若干名入学している。
1.陸軍予科士官学校『第六十期生徒名簿』「第九中隊第九区隊」に「台湾・蘇○秀」の名前あり。
ご本人とは兼ねてより面識があるので、受験の背景などを聴取済み。
2.同氏によると、その頃、数名の台湾人が日本名で入学している。
3.別途、中途編入も数名いるようであるが、最終確認はとれていない。 』
『大東亜戦争に元日本軍人・軍属として従軍し、殉職・戦死された3万三百余柱の台湾の人々の中で戦死が確認された二万七千八百余柱 の方々が護国の神として日本の靖國神社に祀られているが、台湾には祀られていなかったのである。
台北市北西の新北投温泉にある日本人墓地の中和禪寺に台湾出身英霊を 祀る慰霊碑が一九八三年六月二十一日に建立された。
碑文には「萬善孤魂光明、遍照萬華法霊」と刻まれている。
その後、戒厳令解除を契機に、日本軍に志願した台湾戦友会は日本の戦友会「中日南星会」 「中日海交会」の協力を得て、台湾の中央に位置する台中市北區健行路一四〇號にある「寶覺禪寺」に一九九〇年十一月二十五日 有末精三氏(陸軍中將)の筆になる『英魂觀音亭』を建立し、その傍に東郷神社宮司 筑上龍男氏の筆 になる『英靈鎭魂』及び
李登輝前総統の筆になる『靈安故郷』の慰霊碑を建立した。
そこには「第二次世界大戦期間日軍征赴海外殞身台湾 同胞英魂碑 李登輝敬題」と書かれている。今では誰となく台湾の靖国神社と呼ばれるに至った。
大東亜戦争に志願した台湾人
一九九七年八月十五日から、二ヶ月間、台北二二八記念館において"為何而戦? 為誰而戦?"をテーマに『台湾人の戦争展』が開催されたとの新聞報道を見た。当時の新聞の掲載内容は下記のとおり。
戦況が激しくなった昭和十七年四月から兵員補充のため、 「台湾特別志願兵令」が発せられ、台湾人としては、兵隊になれるという魅力に、
第一期陸軍志願兵募集選考には四十二万五千九百六十一名 (418倍)が応募し、難関の四科目(作文、国語、算数、国史)の筆記試験にパスした一千名であった。
翌十八年には千八名の募集に対して 志願者は六十万一千百四十七名(596倍)、昭和十九年には海軍志願者の募集も始まり、陸軍は従来の倍以上の二千四百九十七名を募集し、 その上、翌年から徴兵制が実施され、競争率は161倍に落ち込んだものの志願者は四十万人以上に上った。
昭和十九年までに、陸軍は四千二百名、海軍は一万二千名を採用、その後、最初の徴兵検査は昭和二○年一月に行われ、二万三千名が 四月に入営した。 中でも高砂義勇隊は大東亜戦争に際して、得意のジャングル戦で活躍した。
戦死が確認された二万七千八百余柱の方々が靖国神社に護国の神として祀られている。
李登輝氏と兄李登欽
前台湾総統李登輝氏の父李金龍(日本名:岩里龍男)は警察官で、李登輝氏はその次男として生まれ、客家に属し、日本名を「岩里政男」 といい、淡水中学四修で台北高校を経て京都帝大農学部農業経済学科へと進学した。
戦時体制下にあるため学徒兵として習志野陸軍予備士官学校に入校(司馬遼太郎氏と同期)、同年末、陸軍少尉 に任官した。
一方、兄の李登欽(日本名:岩里武則)氏は李金龍(日本名:岩里龍男)の長男として生まれ、淡水中學卒業後、 父の跡を継ぎ地元警察に勤務していたが、昭和十八年十月、海軍特別志願兵制度発足により時流に従い、昭和十八年十月、高雄・左営の 『台湾総督府海軍兵志願者訓練所』第一期生一千人の一人として高倍率をパスし入所。
六ヶ月後に海軍兵志願資格を獲得し『左営海兵団(陸戦隊)』に入営した。
李登輝氏は「私が学徒兵として台湾の高雄高射砲部隊に配属になった一九四四年に、 兄は左営の海軍基地に初年兵として配属されていたので、二人で会って写真を何枚も撮ったのが最後になりました」と述懐されている。』
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E05P0030.html
これは メッセージ 43768 (picfujiwara2000 さん)への返信です.
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