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Re: 添削

投稿者: run_run72 投稿日時: 2006/11/16 23:07 投稿番号: [42048 / 230347]
>世界で最初の先物取引は大阪で生まれたというのは、アメリカのシカゴだったか、でも周知の事実のようでした(NHKの穀物市場の特集)
>信用で商売が成り立つなど、当時の朝鮮人には想像もつかなかったでしょう。

さすが大阪(在日が住み着く前の)! エヘヘ。

近松の「冥途の飛脚」でも、
大坂で、主人公が封印切りをして使い込むのは、江戸為替のお金。
お江戸の日本で通信(飛脚)が発達し、手形決済?みたいなのをやっていたのですから、
大したものです。

>日本人は何か始めるとき、多くの人は「形から入る」と思うのですが。
>多くの新発見や画期的な発明は「常識を覆す」ことで生まれることが多いのですが、
常識の無いものに常識を覆すことは出来ません。

私もそう思います。
ここポイントだと言えましょう。(笑)

形を繰り返し練習すること、形から入ることによって、基礎的な力が身につく。
また、手順を無心に踏むことによって、
かえって、心が自由になる、そんなところがあるように思います。
そうして、形を運用することが、呼吸するように自然に身につき、
形から自由になったときに、創造が生まれるのではないでしょうか。

その辺りの事情は、
「稽古は強かれ、常識はなけれ」という世阿弥の言葉にうまく現れていると思います。
稽古は強かれ、というのは、演技者としての力をつけるための稽古は一生懸命する。
しかし、思い込みや、型にはまった考えには捕われてはならない。

強引な解釈かもしれませんが、
結局のところ、対象となるものへの没入や真摯な学びがなくて、
それを越える自由や、新しい工夫や創造が生まれる筈がありません。

世阿弥のような考え方が、早くも中世にあらわれていたことから見ても、
すでにこの頃には、日本は今ある姿にほぼ近かったのではないでしょうか。
遅くともこのころには、日本人は、自分自身と対峙することによって、
よきもの、を生み出してきたと思います。

一方、朝鮮人は性急に結果を得ようとし、
外見ばかり、見栄ばかり、
他者と比べて上とか下とかしか考えない。

ですから、結局、成果が得られず、
自己顕示欲とプライドを満たすため、
借り物を自分のもの、といいつのり、そう思い込むしかない。
目をあければ、自分が裸であることに否応なく気づくので、
目をあけることができない。
そんな気がします。

>彼が日本人の視点に近づくのはいつでしょう。
>最近韓国企業のサムスンが元気ですが、少しは民族性も変わってくれるのでしょうか。

私は正直、絶望しています。
ここにくる在日とおぼしき人は、日本に住み、
日本語を読み書きできます。

言葉ができるということは、
その言葉の奥の考え方もある程度身につけることだと思いますが、
その在日にしてこれですもの。

サムソンが元気で、かの国の人々が、他の文化と接することがあっても、
変化はきわめてゆっくりしたもので、
私が生きている間に変わることはなかろう、と思っています。

外的な力が加われば、180度変わることはあると思いますが、
内面から変わるわけではありません。

長文失礼いたしました。m(__)m
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