Re: 北の脅威は、日本の責任
投稿者: kimfungcameroon 投稿日時: 2006/11/09 14:38 投稿番号: [41567 / 230347]
>植民地支配の下で日本が行なった支配のやり方にも分断につながる問題があったと思います。
分断は基本的には「米ソ冷戦」の結果。
分断を固定化させたのは「朝鮮戦争」、そういう意味では分断の責任の一端は中国にもあろう。それらに比べれば、日本の責任はほとんどない。
「米ソ冷戦」終結後もドイツのように統合できず、分断が続いているのは、南北朝鮮人自身の責任が一番大きい。人のせいにばかりして自分は逃げているようでは、統合への道のりは遠いといえよう。
>日本は、朝鮮人の中の資本家・地主・親日的官僚などに依拠して植民地支配を維持したのですが、労働者・農民など下層朝鮮人の意思、利益はほとんど考慮しませんでした。
まず、李朝末期の「両班」支配体制時代には、労働者・農民など下層朝鮮人の意思、利益は全く考慮されていなかったことを認識すべき。
「両班」「中人」「常人」「白丁」という身分制度も、日本の「明治維新」の「四民平等」思想により廃止されたことを認識すべき。
(「日韓併合」による近代化政策で、様々な旧態依然とした制度が改革されたため、李朝の高級官僚や高級将校を独占していた「両班」は、特権を失い没落したが、逆に「中人」「常人」、特に「白丁」は身分制度の頚木から逃れ、大きな利益を得たというのが実情)
>その結果、植民地期には社会的な両極化が進みました。日本の敗戦後、このように両極化した社会では左右対立が高まります。南北分断という要因がそれにからまって、北の社会主義、南の資本主義という分断国家の構造が生じたと考えられます。
「日韓併合時代」は、朝鮮半島は両極化した社会などではなく、李朝時代のようなエンドレスな「権力闘争」や大規模な「農民暴動」も発生せず、治安状況は概して安定していた。因みに、1919年の「3.1独立運動」(死者553人、負傷者1409人=「朝鮮総督府調査」)以上の騒乱は、一度も起こっていない。
この時代には、日本からの積極的な投資により年平均4%の経済成長を達成し、道路、鉄道、港湾、ダムなどのインフラ整備も飛躍的に進み、李朝時代に比較すれば格段に発展し近代化した。
李朝時代には極めて低い水準にあった識字率も、「義務教育」の導入により、瞬く間に70%前後にまで上がり、平均所得も倍以上、衛生状態の改善により寿命も20年近く延び、それにより人口もほぼ倍増した。
当時の複雑な世界情勢の中で「太平洋戦争」が勃発し、その後の経過により日本の敗戦が決定的になるまで、朝鮮独立を考える者などほとんどいなかったというのが本当のところである。
繰り返すようだが、朝鮮半島分断の最大の要因は、「第二次大戦」後の主導権争いが「米ソ冷戦」という形で顕在化したためであり、北が共産主義国家、南が資本主義国家になったのも、北がソ連に占領され、南がアメリカに占領された結果に過ぎない。(この点は東西ドイツが、それぞれ共産主義国家、資本主義国家になったのと経緯は同じ)
> 戦後の日本は、アメリカのアジア戦略に乗っかって、復興をとげ、さらには経済成長を実現しました。
戦後、日本が速やかに復興できたのは、第一に日本にその基盤があったこと(戦前から既に政治、経済、文化などあらゆる分野で先進国の水準に達していたこと、敗戦にもかかわらず国家運営に必要な人材、及び大量の熟練技術者が残っていたこと)、第二に日本人が互いに協力して皆で汗を流し、国を挙げて復興に励んだこと(イラク状態にはならなかった)が主因。
「朝鮮戦争」の復興景気、その他の要因は、あくまで副次的要因に過ぎない。
>しかし、冷戦が終了した今、朝日の国交正常化を実現するとすれば、韓日条約で行なわれなかったこと(謝罪と補償)がきちんとなされることが必要になっています。
その前に、北朝鮮は「国家犯罪」である「日本人拉致」について、謝罪し、補償し、関係者の処罰をしなければならない。また「六カ国協議」で約束した通り「核兵器開発」を直ちに止め、「贋札」「偽タバコ」「麻薬」など不正手段での外貨獲得も止めなければならない。
それが「日朝国交」正常化交渉を始めるに当っての条件となる。
それにつけても、つべこべ言わず、まず第一歩として拉致した日本人を速やかに全員返すべき。
分断は基本的には「米ソ冷戦」の結果。
分断を固定化させたのは「朝鮮戦争」、そういう意味では分断の責任の一端は中国にもあろう。それらに比べれば、日本の責任はほとんどない。
「米ソ冷戦」終結後もドイツのように統合できず、分断が続いているのは、南北朝鮮人自身の責任が一番大きい。人のせいにばかりして自分は逃げているようでは、統合への道のりは遠いといえよう。
>日本は、朝鮮人の中の資本家・地主・親日的官僚などに依拠して植民地支配を維持したのですが、労働者・農民など下層朝鮮人の意思、利益はほとんど考慮しませんでした。
まず、李朝末期の「両班」支配体制時代には、労働者・農民など下層朝鮮人の意思、利益は全く考慮されていなかったことを認識すべき。
「両班」「中人」「常人」「白丁」という身分制度も、日本の「明治維新」の「四民平等」思想により廃止されたことを認識すべき。
(「日韓併合」による近代化政策で、様々な旧態依然とした制度が改革されたため、李朝の高級官僚や高級将校を独占していた「両班」は、特権を失い没落したが、逆に「中人」「常人」、特に「白丁」は身分制度の頚木から逃れ、大きな利益を得たというのが実情)
>その結果、植民地期には社会的な両極化が進みました。日本の敗戦後、このように両極化した社会では左右対立が高まります。南北分断という要因がそれにからまって、北の社会主義、南の資本主義という分断国家の構造が生じたと考えられます。
「日韓併合時代」は、朝鮮半島は両極化した社会などではなく、李朝時代のようなエンドレスな「権力闘争」や大規模な「農民暴動」も発生せず、治安状況は概して安定していた。因みに、1919年の「3.1独立運動」(死者553人、負傷者1409人=「朝鮮総督府調査」)以上の騒乱は、一度も起こっていない。
この時代には、日本からの積極的な投資により年平均4%の経済成長を達成し、道路、鉄道、港湾、ダムなどのインフラ整備も飛躍的に進み、李朝時代に比較すれば格段に発展し近代化した。
李朝時代には極めて低い水準にあった識字率も、「義務教育」の導入により、瞬く間に70%前後にまで上がり、平均所得も倍以上、衛生状態の改善により寿命も20年近く延び、それにより人口もほぼ倍増した。
当時の複雑な世界情勢の中で「太平洋戦争」が勃発し、その後の経過により日本の敗戦が決定的になるまで、朝鮮独立を考える者などほとんどいなかったというのが本当のところである。
繰り返すようだが、朝鮮半島分断の最大の要因は、「第二次大戦」後の主導権争いが「米ソ冷戦」という形で顕在化したためであり、北が共産主義国家、南が資本主義国家になったのも、北がソ連に占領され、南がアメリカに占領された結果に過ぎない。(この点は東西ドイツが、それぞれ共産主義国家、資本主義国家になったのと経緯は同じ)
> 戦後の日本は、アメリカのアジア戦略に乗っかって、復興をとげ、さらには経済成長を実現しました。
戦後、日本が速やかに復興できたのは、第一に日本にその基盤があったこと(戦前から既に政治、経済、文化などあらゆる分野で先進国の水準に達していたこと、敗戦にもかかわらず国家運営に必要な人材、及び大量の熟練技術者が残っていたこと)、第二に日本人が互いに協力して皆で汗を流し、国を挙げて復興に励んだこと(イラク状態にはならなかった)が主因。
「朝鮮戦争」の復興景気、その他の要因は、あくまで副次的要因に過ぎない。
>しかし、冷戦が終了した今、朝日の国交正常化を実現するとすれば、韓日条約で行なわれなかったこと(謝罪と補償)がきちんとなされることが必要になっています。
その前に、北朝鮮は「国家犯罪」である「日本人拉致」について、謝罪し、補償し、関係者の処罰をしなければならない。また「六カ国協議」で約束した通り「核兵器開発」を直ちに止め、「贋札」「偽タバコ」「麻薬」など不正手段での外貨獲得も止めなければならない。
それが「日朝国交」正常化交渉を始めるに当っての条件となる。
それにつけても、つべこべ言わず、まず第一歩として拉致した日本人を速やかに全員返すべき。
これは メッセージ 41512 (kim_taek_joo さん)への返信です.
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