歴史の共有は不可能だとあきらめてる
投稿者: r432ewew 投稿日時: 2003/11/06 19:00 投稿番号: [3782 / 230347]
「正義はわれにありという歴史観の伝統はおいそれとは変わらぬ」(平成13年10月)
拓殖大学客員教授の田中明さんが『現代コリア』(九月号)の連載で紹介していた話を読んで、改めて日本と韓国の間で「共通の歴史認識」などもてるはずがないと思った。
話は秀吉の朝鮮出兵前に遡る。日本の動向を探るため朝鮮から通信使が派遣されていたのだが、その正使と副使が正反対の報告をしたという。
正使の黄允吉は「日本は戦争準備の最中であり、侵攻してくる恐れがあります。豊臣秀吉は眼光炯々として胆力知力を備えた者のようです」と報告。が、副使の金誠一は「日本が侵攻してくる徴候は見えません。秀吉はネズミのような目をした恐れるに足りぬ男です」と言うばかりか、「黄允吉は大げさな奏上をして人心を動揺させており、宜しくありません」と正使を貶めるような報告をした。
田中教授はこう解説する。「朝鮮の朝野は、金誠一の報告の方に食いついた。兵事に関心が薄いうえに、太平に馴れた一六世紀の文民政治家たちにとって『外寇はない』と言われる方が安心だったからである」と。
それで、城の修繕や兵営の増改築といった防衛努力もそれきりやめてしまった。しかし結果的には、秀吉は朝鮮に進攻し、朝鮮側は連戦連敗、首都漢城は陥落。亡国寸前で明の援軍により辛うじて難を免れた。
面白いのはここからだ。韓国ではこの二人の評価をめぐって四百年経った今も子孫らが論争しているというのだ。
なんでも、金誠一の子孫にとっては先祖の所業は「ノドにひっかかった魚の骨」のようなもので、「血統を重視し、一族の評価にかかわることにはナーバスな韓国の人々にとって、これはゆゆしい問題である」。だから、この問題で金誠一が批判されるのに必死に抵抗してきた。例えば「テレビ・ドラマなどで、先祖の名誉を傷つけるような扱いがされていないか、目を光らしている」という具合に……。
実はこの「血統を重視」する家門主義歴史観は、黄允吉の子孫にも共通している。歴史学者としてならした黄義敦という子孫は「黄允吉は正直な人物だったが、金誠一は『壬辰倭乱という惨禍を誘発した歴史の罪人』だという論旨を展開し、それを世に定着させた」というのだ。
つまり、金誠一の子孫は先祖の汚名を少しでも軽くしようと手立てを尽し、黄允吉の子孫はかつて先祖を貶めた相手を逆の立場に置こうと論陣をはる。歴史的事実は一つでも、その解釈でより優位に立とうというわけである。
田中教授はこう結んでいる。「教科書問題で韓国の訂正要求を見た日本側は、指摘されているのが事実の誤りでなく解釈の違いで、その違いは自分の方に従えと言っているのに驚いた(呆れた)。だが、これこそ党争を繰り返す過程で練り上げた『正義はわれにあり』という家門主義歴史観の伝統に従ったもので、おいそれとは変わらぬものであることを心得ておかなければならない」と。
拓殖大学客員教授の田中明さんが『現代コリア』(九月号)の連載で紹介していた話を読んで、改めて日本と韓国の間で「共通の歴史認識」などもてるはずがないと思った。
話は秀吉の朝鮮出兵前に遡る。日本の動向を探るため朝鮮から通信使が派遣されていたのだが、その正使と副使が正反対の報告をしたという。
正使の黄允吉は「日本は戦争準備の最中であり、侵攻してくる恐れがあります。豊臣秀吉は眼光炯々として胆力知力を備えた者のようです」と報告。が、副使の金誠一は「日本が侵攻してくる徴候は見えません。秀吉はネズミのような目をした恐れるに足りぬ男です」と言うばかりか、「黄允吉は大げさな奏上をして人心を動揺させており、宜しくありません」と正使を貶めるような報告をした。
田中教授はこう解説する。「朝鮮の朝野は、金誠一の報告の方に食いついた。兵事に関心が薄いうえに、太平に馴れた一六世紀の文民政治家たちにとって『外寇はない』と言われる方が安心だったからである」と。
それで、城の修繕や兵営の増改築といった防衛努力もそれきりやめてしまった。しかし結果的には、秀吉は朝鮮に進攻し、朝鮮側は連戦連敗、首都漢城は陥落。亡国寸前で明の援軍により辛うじて難を免れた。
面白いのはここからだ。韓国ではこの二人の評価をめぐって四百年経った今も子孫らが論争しているというのだ。
なんでも、金誠一の子孫にとっては先祖の所業は「ノドにひっかかった魚の骨」のようなもので、「血統を重視し、一族の評価にかかわることにはナーバスな韓国の人々にとって、これはゆゆしい問題である」。だから、この問題で金誠一が批判されるのに必死に抵抗してきた。例えば「テレビ・ドラマなどで、先祖の名誉を傷つけるような扱いがされていないか、目を光らしている」という具合に……。
実はこの「血統を重視」する家門主義歴史観は、黄允吉の子孫にも共通している。歴史学者としてならした黄義敦という子孫は「黄允吉は正直な人物だったが、金誠一は『壬辰倭乱という惨禍を誘発した歴史の罪人』だという論旨を展開し、それを世に定着させた」というのだ。
つまり、金誠一の子孫は先祖の汚名を少しでも軽くしようと手立てを尽し、黄允吉の子孫はかつて先祖を貶めた相手を逆の立場に置こうと論陣をはる。歴史的事実は一つでも、その解釈でより優位に立とうというわけである。
田中教授はこう結んでいる。「教科書問題で韓国の訂正要求を見た日本側は、指摘されているのが事実の誤りでなく解釈の違いで、その違いは自分の方に従えと言っているのに驚いた(呆れた)。だが、これこそ党争を繰り返す過程で練り上げた『正義はわれにあり』という家門主義歴史観の伝統に従ったもので、おいそれとは変わらぬものであることを心得ておかなければならない」と。
これは メッセージ 3780 (malamala021 さん)への返信です.
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