日本人の国際化の課題
投稿者: netcitizenmaster 投稿日時: 2002/11/21 19:14 投稿番号: [2539 / 230347]
新しい方もいらっしゃったようですので、これを機会にコメントしますね。
yellow321jp さんのいう通り、
[あなたがどこにお住まいでどんな人々と交友が会って、何をされているかわかりませんが、日本にいて、日本人とだけ関わって、外に出ることなく、特に何をするわけでもなく、内の世界にいて狭い世界で静かにしているのであれば、歴史を知らなくても影響ないと私は思います。]
これは全くといって正しいと思います。
しかし、今の時代、現実はそれを認めません。
1990年代はじめに、日本人は大きな環境的変化を迎え、否応なく国際化対応をより強く求められました。経済の「バブル」時代は人の感覚のみならず、世界から急激に注目された時代とも受け取れます。
実際、在日韓国人社会であれ、例えるに在日ブラジル人社会(豊田市周辺などが有名ですか)であれ、この時期に急激に身のまわりの状況が変化し、日本人との関係もいろんな意味で変化してきたのです。
在日韓国人社会・在日ブラジル人社会・華僑などは日本での在住が長い外国人であることは想像するのは容易でしょうが、経済の「バブル」時代における日本人の意識の変化の影響は、日本と諸外国の関係を大きく前進させた"成果"と、反面、"後遺症"をも残しています。
"後遺症"というのは、今の日本が関わる必要性が高まった外国の国家・民族が急激に増えたことに他なりません。それらの国家・民族の多様性を受け容れるほどに日本人の側が経験豊かであったわけではありません。90年代は日本人が外国人を"認識"するには十分でしたが、真に友好関係を築くにはまだ多くの問題がありました。
1980年代の日本人の多くは、残念ながら、yellow321jp さんの発言にあるような状況が多く、急激な経済環境の変化という外圧(黒船ともいいましょうか)があってから日本は国際社会で活躍のフィールドを広げられたと私は思います。
21世紀には、日本は一つの課題をクリアする必要があります。
それは、「民族」という概念を捨てて他国とつきあっていける国際性をもつことなのです。日本人は"日本民族"ではなく"日本国家"としてコミュニティを形成できた故に今の日本があることを忘れてはならないと思います。
それは単一民族と言われ続けた日本にとっての"利点"であったことは多くの面で立証されてきました。"日本的経営"と言われた独自性は日本人の柔軟さを示す素質でありながら、今後は素質を生かせるかということが今の日本の最大の課題になっています。
私は国家・民族を人の幸せにおける絶対的な存在とは考えません。
なぜ、「民族」という概念を捨てることに意味があるのか?
それは、民族、とりわけ近代の"民族"概念はコミュニティの排他性を助長したからに他なりません。世界史において、民族ということを全面に出した場合、そこには多くの争いと差別と虐圧の歴史がほとんどを占めていることに気がつきませんか?
人のコミュニティが人を育み、個人の自立と他者との融和をはかれるようになってこそ、人の幸福追求の機会が生まれて、その裏返しとしてコミュニティはその影響力を強化するものと考えます。国家はコミュニティを擁護し、コミュニティを形成する人を「国民」として迎え、コミュニティの規範を方針づけることにおいて、存在意義があるのです。故に国家が主導する社会が絶対的なものとも考えません。
yellow321jp さんのいう通り、
[あなたがどこにお住まいでどんな人々と交友が会って、何をされているかわかりませんが、日本にいて、日本人とだけ関わって、外に出ることなく、特に何をするわけでもなく、内の世界にいて狭い世界で静かにしているのであれば、歴史を知らなくても影響ないと私は思います。]
これは全くといって正しいと思います。
しかし、今の時代、現実はそれを認めません。
1990年代はじめに、日本人は大きな環境的変化を迎え、否応なく国際化対応をより強く求められました。経済の「バブル」時代は人の感覚のみならず、世界から急激に注目された時代とも受け取れます。
実際、在日韓国人社会であれ、例えるに在日ブラジル人社会(豊田市周辺などが有名ですか)であれ、この時期に急激に身のまわりの状況が変化し、日本人との関係もいろんな意味で変化してきたのです。
在日韓国人社会・在日ブラジル人社会・華僑などは日本での在住が長い外国人であることは想像するのは容易でしょうが、経済の「バブル」時代における日本人の意識の変化の影響は、日本と諸外国の関係を大きく前進させた"成果"と、反面、"後遺症"をも残しています。
"後遺症"というのは、今の日本が関わる必要性が高まった外国の国家・民族が急激に増えたことに他なりません。それらの国家・民族の多様性を受け容れるほどに日本人の側が経験豊かであったわけではありません。90年代は日本人が外国人を"認識"するには十分でしたが、真に友好関係を築くにはまだ多くの問題がありました。
1980年代の日本人の多くは、残念ながら、yellow321jp さんの発言にあるような状況が多く、急激な経済環境の変化という外圧(黒船ともいいましょうか)があってから日本は国際社会で活躍のフィールドを広げられたと私は思います。
21世紀には、日本は一つの課題をクリアする必要があります。
それは、「民族」という概念を捨てて他国とつきあっていける国際性をもつことなのです。日本人は"日本民族"ではなく"日本国家"としてコミュニティを形成できた故に今の日本があることを忘れてはならないと思います。
それは単一民族と言われ続けた日本にとっての"利点"であったことは多くの面で立証されてきました。"日本的経営"と言われた独自性は日本人の柔軟さを示す素質でありながら、今後は素質を生かせるかということが今の日本の最大の課題になっています。
私は国家・民族を人の幸せにおける絶対的な存在とは考えません。
なぜ、「民族」という概念を捨てることに意味があるのか?
それは、民族、とりわけ近代の"民族"概念はコミュニティの排他性を助長したからに他なりません。世界史において、民族ということを全面に出した場合、そこには多くの争いと差別と虐圧の歴史がほとんどを占めていることに気がつきませんか?
人のコミュニティが人を育み、個人の自立と他者との融和をはかれるようになってこそ、人の幸福追求の機会が生まれて、その裏返しとしてコミュニティはその影響力を強化するものと考えます。国家はコミュニティを擁護し、コミュニティを形成する人を「国民」として迎え、コミュニティの規範を方針づけることにおいて、存在意義があるのです。故に国家が主導する社会が絶対的なものとも考えません。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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