強制連行ではなく不法入国ですね【2】
投稿者: the_world_hates_koreans 投稿日時: 2006/05/15 08:17 投稿番号: [23473 / 230347]
戦後の済州島人が「不法入国(密航)」して、「特別在留」を獲得するまでの流れを、生活史を辿りながら簡略に紹介したい。
ケース①
女性、1920年父は樺太へ出稼ぎ、1946(28歳)年、済州島で夫と死別後、6歳の娘を連れて密航(鹿児島上陸)。大阪の平野の石鹸工場で働き、同僚の済州島人男性と再婚。再婚の夫との間に一男三女生まれる。「特在」に関しては、とくに語られていない。しかし、密航時期が外国人登録をする以前であり、さらに夫が戦前より在日していたので、「特在」でなく、「永住者」になったと考えられる。
ケース②
男性、1947(23歳)年、済州島で結婚、四・三事件関係の地下運動で罰金刑を受け、一時的避難のつもりで密航(三崎上陸)。翌年、親族が他人名義の外国人登録をしてくれる。1949年弟密航、親族が弟の名前の外国人登録をしてくれる。1950年済州島人女性と再婚。再婚の妻との間に二男三女生まれる。自主し「特在」、1977年(密航から30年後)。このケースも、密航が早期(1951年サンフランシスコ条約、出入国管理令公布以前)であり、永住者の夫、永住者の子(5人)の扶養の責任、潜在期間が30年と長期であったことで難しくなかった。「特在」をとって30年ぶりに帰郷果たす。
ケース③
男性、1927年生後一ヶ月目に日本の船に乗っていた(船員)父台風で死亡。1929年(3歳)母(海女)の出稼ぎに連れられて、初来日(鹿児島)。1941年(16歳)東京の蒲田の鉄工所で働く帰郷。翌年は船乗りとして来日伊豆半島で働き帰郷。さらに、その翌年は南伊豆でかじめ採りをし、帰郷。結婚、長女誕生。1948年(四・三事件、24歳)釜山から日本へ密航者を運ぶ船員として密航(南伊豆上陸)、済州島では長男誕生。南伊豆で漁師、八丈島で難破(1951年)し、大阪へ。日雇いやトラックの助手をする。日本人女性と同棲始める。1953年対馬へ移住、日本人女性との間に日本の長男誕生。対馬から釜山や麗水間、ヤミ(密航者と密貿易)の運び屋。1955年(30歳)釜山で捕まる、韓国の長男初対面、対馬に戻る。1960年(35歳)対馬の仕事が減り、大阪の靴の仕事へ、日本の三男誕生。1969年(44歳)日本人女性と別れる。自首し、1970年「特在」を取る。このケースの場合、戦前からの来日歴があることと、1948年密航(早期)として考慮されたと考えられる。日本人女性とは、事実婚であった。
後に、済州島の長女が成人して密航(1963年?)し、大阪で密航者同士の結婚(1969年)をするが、夫(生野生まれ)が強制送還(1975年)。子供と長女が残る。夫再び密航(1976年)するが、長女とは事実上離婚。長女が逮捕で自費出国(1977年)され、子供は施設に預けられる。長女の元夫は、永住者の女性と同棲、子供生まれる(1979年)。長女も再び密航。長女の元夫や子供達は、住民運動の成果により1985年「特在」認められる。さらに、1983年、ケース③の母が年老いて、息子を頼って来日、「超過滞在」のまま、1995年大阪で亡くなる。
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | / < これらは果たして強制連行でしょうか?
| ( _●_) ミ/
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/ __ ヽノ /
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ケース①
女性、1920年父は樺太へ出稼ぎ、1946(28歳)年、済州島で夫と死別後、6歳の娘を連れて密航(鹿児島上陸)。大阪の平野の石鹸工場で働き、同僚の済州島人男性と再婚。再婚の夫との間に一男三女生まれる。「特在」に関しては、とくに語られていない。しかし、密航時期が外国人登録をする以前であり、さらに夫が戦前より在日していたので、「特在」でなく、「永住者」になったと考えられる。
ケース②
男性、1947(23歳)年、済州島で結婚、四・三事件関係の地下運動で罰金刑を受け、一時的避難のつもりで密航(三崎上陸)。翌年、親族が他人名義の外国人登録をしてくれる。1949年弟密航、親族が弟の名前の外国人登録をしてくれる。1950年済州島人女性と再婚。再婚の妻との間に二男三女生まれる。自主し「特在」、1977年(密航から30年後)。このケースも、密航が早期(1951年サンフランシスコ条約、出入国管理令公布以前)であり、永住者の夫、永住者の子(5人)の扶養の責任、潜在期間が30年と長期であったことで難しくなかった。「特在」をとって30年ぶりに帰郷果たす。
ケース③
男性、1927年生後一ヶ月目に日本の船に乗っていた(船員)父台風で死亡。1929年(3歳)母(海女)の出稼ぎに連れられて、初来日(鹿児島)。1941年(16歳)東京の蒲田の鉄工所で働く帰郷。翌年は船乗りとして来日伊豆半島で働き帰郷。さらに、その翌年は南伊豆でかじめ採りをし、帰郷。結婚、長女誕生。1948年(四・三事件、24歳)釜山から日本へ密航者を運ぶ船員として密航(南伊豆上陸)、済州島では長男誕生。南伊豆で漁師、八丈島で難破(1951年)し、大阪へ。日雇いやトラックの助手をする。日本人女性と同棲始める。1953年対馬へ移住、日本人女性との間に日本の長男誕生。対馬から釜山や麗水間、ヤミ(密航者と密貿易)の運び屋。1955年(30歳)釜山で捕まる、韓国の長男初対面、対馬に戻る。1960年(35歳)対馬の仕事が減り、大阪の靴の仕事へ、日本の三男誕生。1969年(44歳)日本人女性と別れる。自首し、1970年「特在」を取る。このケースの場合、戦前からの来日歴があることと、1948年密航(早期)として考慮されたと考えられる。日本人女性とは、事実婚であった。
後に、済州島の長女が成人して密航(1963年?)し、大阪で密航者同士の結婚(1969年)をするが、夫(生野生まれ)が強制送還(1975年)。子供と長女が残る。夫再び密航(1976年)するが、長女とは事実上離婚。長女が逮捕で自費出国(1977年)され、子供は施設に預けられる。長女の元夫は、永住者の女性と同棲、子供生まれる(1979年)。長女も再び密航。長女の元夫や子供達は、住民運動の成果により1985年「特在」認められる。さらに、1983年、ケース③の母が年老いて、息子を頼って来日、「超過滞在」のまま、1995年大阪で亡くなる。
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これは メッセージ 23472 (the_world_hates_koreans さん)への返信です.
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