韓学同と正義(雑感?)
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/11/05 13:12 投稿番号: [2270 / 230347]
韓学同のサイトに行き、大まかに活動と主張を見てみました
http://youth-forum.soc.or.jp/members/kangakudo.html
歴史認識問題などについては、十年一日のように従来の認識そのままの団体である感じがいたします。
少なくとも新たな知見を求めておられるようには見えません。また、主張の方法や活動なども、これまた
従来からある「学生運動」の枠を出ているようには思えません。とにかく正義が自らにあると主張し、
「要求」することによって団結しているだけのように見えます。
もし現在私が学生でも、この手の団体には興味を示さないのではないでしょうか?あまりにも旧態依然
たる組織に思われます。
最近『正義を疑え!』(山口意友、ちくま新書)なる本を購入して読みました。すみからすみまで賛成
というわけでもありませんでしたが、おもしろく読めましたし、自分で考えるきっかけには十分なる本だ
と思いました。そして彼の考える「まっとうな正義」の一節にはとても感心させられました。
(引用)
…「他者」に対して「懲悪」や「勧善」を為す前に、「己の不完全性」を懲らしめようとする「内省」を
有さなければならない。その時はじめて、「より善い己」を目指そうとする「勧善型」正義の芽も生じてくる。
「まっとうな正義」とは「他者に向けられる正義」ではなく、まずは「己の不完全性(=悪)」を懲らしめる
ことによって「より善い己」を目指そうとする「己自身に向けられる正義」のことなのである。
このように考えると、その人がまっとうかそうでないかは、今の自分を不完全なるものと見なし、自己を
高めようとする心をもっているかどうかにかかっている。他者の欠点を指摘する前に自己の欠点に目を向け
ようとする人、そういう人に出会ったとき、イデオロギーを越えてその人に対する尊敬の念が生じる…
(引用終わり)
このトピでの「ごく最近の一連の投稿」のことも考えさせるような(笑)大変ためになる一節だと思います。
重々自戒せねばと思うのですが…(常にこの語は、自分にも向かってくる両刃の剣です)
さて、この点から見ても、韓学同の子たちが行っている行動には疑問を感ぜざるを得ません。
・メディアは「朝鮮蔑視」と「報復感情」を煽る過剰な"「拉致一色報道」を止める"ことを求める!
彼らは韓国メディアの「日本蔑視」報道には無感覚なのだろうか?
本当に日本メディアは「報復感情」を煽っているのだろうか?
・メディアは植民地支配の責任を回避する欺瞞的な"「経済協力方式」について報道せよ!"
植民地支配の責任のことを、どれだけ彼らは正しく認識しているのだろうか?
「経済協力方式」が弁済の相殺から来たことをはたして知っているのだろうか?
・日本国政府は植民地支配の法的責任を認め、"国家と個人に対して謝罪・賠償を!"
法的責任とは何の法なのか? 個人賠償は韓国政府に求めるのが筋ではないか?
・日本国政府は対共和国"「敵視政策」を改め「有事法」の制定を止めることを求める!”
どういう立場でこの意見がだされるのか、彼らは自覚的なのだろうか?
様々な疑問が湧いてきます。彼らが「無自覚」「無反省」なだけではないという自己証明を周囲に行って
いったときに、初めて日本人としての私は「連帯」の可能性を感じると思います。
以上です (あなかま あなかま)
http://youth-forum.soc.or.jp/members/kangakudo.html
歴史認識問題などについては、十年一日のように従来の認識そのままの団体である感じがいたします。
少なくとも新たな知見を求めておられるようには見えません。また、主張の方法や活動なども、これまた
従来からある「学生運動」の枠を出ているようには思えません。とにかく正義が自らにあると主張し、
「要求」することによって団結しているだけのように見えます。
もし現在私が学生でも、この手の団体には興味を示さないのではないでしょうか?あまりにも旧態依然
たる組織に思われます。
最近『正義を疑え!』(山口意友、ちくま新書)なる本を購入して読みました。すみからすみまで賛成
というわけでもありませんでしたが、おもしろく読めましたし、自分で考えるきっかけには十分なる本だ
と思いました。そして彼の考える「まっとうな正義」の一節にはとても感心させられました。
(引用)
…「他者」に対して「懲悪」や「勧善」を為す前に、「己の不完全性」を懲らしめようとする「内省」を
有さなければならない。その時はじめて、「より善い己」を目指そうとする「勧善型」正義の芽も生じてくる。
「まっとうな正義」とは「他者に向けられる正義」ではなく、まずは「己の不完全性(=悪)」を懲らしめる
ことによって「より善い己」を目指そうとする「己自身に向けられる正義」のことなのである。
このように考えると、その人がまっとうかそうでないかは、今の自分を不完全なるものと見なし、自己を
高めようとする心をもっているかどうかにかかっている。他者の欠点を指摘する前に自己の欠点に目を向け
ようとする人、そういう人に出会ったとき、イデオロギーを越えてその人に対する尊敬の念が生じる…
(引用終わり)
このトピでの「ごく最近の一連の投稿」のことも考えさせるような(笑)大変ためになる一節だと思います。
重々自戒せねばと思うのですが…(常にこの語は、自分にも向かってくる両刃の剣です)
さて、この点から見ても、韓学同の子たちが行っている行動には疑問を感ぜざるを得ません。
・メディアは「朝鮮蔑視」と「報復感情」を煽る過剰な"「拉致一色報道」を止める"ことを求める!
彼らは韓国メディアの「日本蔑視」報道には無感覚なのだろうか?
本当に日本メディアは「報復感情」を煽っているのだろうか?
・メディアは植民地支配の責任を回避する欺瞞的な"「経済協力方式」について報道せよ!"
植民地支配の責任のことを、どれだけ彼らは正しく認識しているのだろうか?
「経済協力方式」が弁済の相殺から来たことをはたして知っているのだろうか?
・日本国政府は植民地支配の法的責任を認め、"国家と個人に対して謝罪・賠償を!"
法的責任とは何の法なのか? 個人賠償は韓国政府に求めるのが筋ではないか?
・日本国政府は対共和国"「敵視政策」を改め「有事法」の制定を止めることを求める!”
どういう立場でこの意見がだされるのか、彼らは自覚的なのだろうか?
様々な疑問が湧いてきます。彼らが「無自覚」「無反省」なだけではないという自己証明を周囲に行って
いったときに、初めて日本人としての私は「連帯」の可能性を感じると思います。
以上です (あなかま あなかま)
これは メッセージ 2262 (netcitizenmaster さん)への返信です.
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