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ネタ振り

投稿者: ehitodesu 投稿日時: 2002/11/04 23:25 投稿番号: [2258 / 230347]
  下だけ見ると、ただの顰蹙オヤジなもので(違うのかというツッコミはご容赦)、sadatajpさんのリクエストに応えて寝た振り、イヤイヤネタ振りなど。(変っとらん)

  これは、私の専門外なもので本人としては素朴な疑問ネタのつもりですが、韓国の特徴として儒教社会と言われてます。しかし、一応日本を含めて東アジアは、行動規範として儒教を取り入れており、韓国だけではないはずです。
  そこで、基礎知識。出展は「平凡社大百科事典」小川晴久

「朱子学以前の儒教(高麗朝後期まで)は支配思想であった仏教と共存して存在できた儒教であり、哲学は仏教にゆだね、もっぱら詩文の才を政治・外交面で発揮した文詞・文学儒教であった」
  ここまでは、日本では『哲学は儒教にゆだね、もっぱら冠婚葬祭の才を発揮した仏教であった』な気がするのであるが、問題なのはこの後で、

「朝鮮儒教の真面目は儒教が支配思想となった李朝500年に現れたといえる。」で、その朝鮮における儒教の特徴として
  「文臣優位の両班の儒教である。」、「朝鮮の儒教は朱子学一尊、それも性理学=道学(理学)中心の朱子学であった。」は、ともかく不思議なのは、
  「第3に朝鮮の儒教は党争の儒教であった。限られた官吏のポストを大勢の両班が争うのであるから権力争いは必至であったが、士林(在地両班層=新進官僚)勢力が4度の士禍(士林派への弾圧)を乗り越えて宣祖代に政権の主導権を握るにいたって、ついに政権を担当する士林間の対立抗争が始まった。これが李朝末まで300年にわたって続く党争である。東人・西人の2派の分裂から始まる党争は、曲折を経て東人が南人と北人に、西人が老論と少論に最終的に分かれ、四色党争といわれたが、党派の対立は学派や学説の対立と結びついたので、党派に属する学者は自派の学説を固守しなければならず、党争儒教は朝鮮儒教の学問的発展を著しく阻害した」、「第4に朝鮮の儒教は厳格な身分制度(両班、中人、常民、賎民)と家族制度(嫡庶の峻別ほか)を反映して、それらを律する礼制の実践と研究を重んずる礼学儒教であった。冠婚葬祭を中心に生活様式が儒教化され、両班家庭における《朱子学礼》や農民における<郷約>の励行を通して儒教は社会生活に深く根を下ろした。」

  要するに日本でも江戸時代には儒教が官学であるが、冠婚葬祭は仏教・神道と人の道を説くのが儒教といった捉え方で並存していたと思うのだが、韓国では些か事情が異なるらしい。といって、儒教は宗教の一種に近いということもないだろうが「解からん」となるのである。
  知ってる人は「何だこんなことかも」知れないが、硬い理論問題から現実の法事問題まで、韓国と日本の儒教の違いを少し教えて。では。
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