Re: 竹島のインフラ順調・・・ってか?
投稿者: demoriaru 投稿日時: 2006/05/01 20:32 投稿番号: [21915 / 230347]
この古文書の存在が障害か、
>山陰中央新報より
安龍福の竹島記した古文書見つかる
江戸中期の一六九六年、鳥取藩への渡航途中に隠岐島に寄港した朝鮮人・安龍福(アンヨンボク)が、日韓両国が領有権を主張し、島根県の「竹島の日」制定を機にクローズアップされる竹島(韓国名・独島)について、鬱陵島とともに朝鮮の領土であると主張していたことを示す古文書が、島根県海士町で見つかった。ただ、安の行動は日韓で評価が分かれており、詳細な研究が待たれる。
古文書は同町内の旧家で後鳥羽天皇御火葬塚守部である村上家の四十八代当主、村上助九郎さん(65)が自宅の蔵で見つけ、知人の松江市雑賀町、元教員樋野俊晴さん(66)が解読した。
「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」と表書きされ、安が僧侶五人を含む十一人で一隻の舟に乗って鳥取藩に向かう途中、隠岐島後に立ち寄った際に受けた取り調べの調書とみられる。
当時、江戸幕府と朝鮮政府は鬱陵島の領有権をめぐって紛争中で、九三年に鬱陵島から鳥取藩に連行されたことのある安は、覚書で「伯耆守様へ訴訟在之参候」と、鳥取藩主に対する訴訟が渡航目的だと述べている。
当時の日本では鬱陵島を「竹島」、現・竹島(独島)を「松島」とそれぞれ呼んでいた。覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。
これまでの資料では、安の言う「子山」(または「于山島」)がどの島を指すのかあいまいだったが、「竹島と朝鮮之間三十里
竹島と松島之間五十里」と位置関係を説明している記述などから、現・竹島を指しているとみられる。
覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していたことがうかがえる。
安の行動をめぐっては、韓国側が英雄ととられているのに対し、日本側では、韓国の特使ではなかったなどとして、解釈が分かれている。
('05/05/17 無断転載禁止)
これは メッセージ 21912 (demoriaru さん)への返信です.
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