パクリと弱いものいじめは民族性?
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/21 18:12 投稿番号: [20188 / 230347]
パクリと弱いものいじめは朝鮮人の民族性か??
日本人と変らぬ同じ人間だと思うけど,多くの掲示板で朝鮮人は悪口を書かれ馬鹿にされている
けれどもそれは今までの行動で自ら招いたことで,仕方のないこと
1.「台湾人と日本精神」台湾人SAI KONSANの著書
(日本人よ胸を張りなさい)より抜粋(句点略)
===
1945年8月15日、日本は敗戦した
山奥での作業中に年輩の日本兵(教官)が「負けた!」と隊からの伝令を話したまま、呆然と立っていた
我々(台湾人生徒)は何が起こったのか全く分からなかった
(中略)
しかし隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを表現していた
しばらくして、敗戦の事実が我々、台湾人生徒にも正式に伝達された
悔しさと無念の気持でいっぱいになり、溢れる涙で頬を濡らした事を鮮明に覚えている
無性に悔しかった
他の台湾出身生徒も同じ心境だった
しかし、朝鮮出身の生徒達は、その日から食糧倉庫、衣服倉庫を集団で強奪していた
滅茶苦茶な暴虐・強奪の有様だった
我々は複雑な心境でそれを眺めていた
1945年8月17日・・・
そして8月17日の夕方、連合軍の命令で武装解除が始まり、日本人は復員する事が決定した
(中略)
しかし日本人がいなくなると、武器倉庫や飛行機などの警備が出来ない
そこで連合軍が来るまでの約2ヶ月間、「学校・練習場・格納倉庫・武器倉庫・飛行機」など・・・全ての軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守る事になったのだ
「朝鮮人は信用できないだから君達(台湾人)が守ってほしい」・・・そう言い残して日本人上官は去った
台湾人生徒はこれまでの経験に照合し、了解した
帰国の為に汽車で日本の九州へ・・・
急な日本の敗戦で、私は心の切り替えが出来なかった
日本兵の軍服で汽車に乗っていた私は、周囲からは敗戦で消沈した日本人に見えたのだろう
8月15日から急に横暴になった朝鮮人に嫌がらせされた
座席に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれた
取り返そうとすると、「お前はなんだ!朝鮮人を侮蔑したな!降りて来い!」と、たちまち数人に囲まれてしまった
一人と多数・・・勝てない・・・
「ごめんなさい私の勘違いでした」と謝り、ピンチを逃れる事しか出来なかった
それから佐世保に到着するまでの30時間・・・朝鮮人は執拗に私と日本人乗客を苛め続けた
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、「次の駅で窓から降りろ!」と命令し、苛めていた
朝鮮人の酷すぎる情けない行為を、私は内臓が沸騰するような怒りを感じながら眺めていた
黙って見ているしか出来なかったのだ・・・
(中略)
佐世保のキャンプで私は面白い場面に遭遇した
あの朝鮮人たちが、「中華民国台湾青年隊」の腕章を着けた我々にお世辞を言いながら擦り寄ってきたのだ!
それは中華民国が連合軍の一員であったからだ
弱者には傲慢で、強者には媚びる・・・
そんな朝鮮人の極端な習性を私は目撃したのだった
しかし、大国の狭間で生存しなければならなかった環境が、そうした民族性を育んだのだから、今更、それを責めても仕方が無いだろう・・・
===
「日韓併合前後 朝鮮半島写真館」
http://photo.jijisama.org/
「パクリ文化の韓国文化」
http://nandakorea.sakura.ne.jp/frame.html
日本人と変らぬ同じ人間だと思うけど,多くの掲示板で朝鮮人は悪口を書かれ馬鹿にされている
けれどもそれは今までの行動で自ら招いたことで,仕方のないこと
1.「台湾人と日本精神」台湾人SAI KONSANの著書
(日本人よ胸を張りなさい)より抜粋(句点略)
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1945年8月15日、日本は敗戦した
山奥での作業中に年輩の日本兵(教官)が「負けた!」と隊からの伝令を話したまま、呆然と立っていた
我々(台湾人生徒)は何が起こったのか全く分からなかった
(中略)
しかし隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを表現していた
しばらくして、敗戦の事実が我々、台湾人生徒にも正式に伝達された
悔しさと無念の気持でいっぱいになり、溢れる涙で頬を濡らした事を鮮明に覚えている
無性に悔しかった
他の台湾出身生徒も同じ心境だった
しかし、朝鮮出身の生徒達は、その日から食糧倉庫、衣服倉庫を集団で強奪していた
滅茶苦茶な暴虐・強奪の有様だった
我々は複雑な心境でそれを眺めていた
1945年8月17日・・・
そして8月17日の夕方、連合軍の命令で武装解除が始まり、日本人は復員する事が決定した
(中略)
しかし日本人がいなくなると、武器倉庫や飛行機などの警備が出来ない
そこで連合軍が来るまでの約2ヶ月間、「学校・練習場・格納倉庫・武器倉庫・飛行機」など・・・全ての軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守る事になったのだ
「朝鮮人は信用できないだから君達(台湾人)が守ってほしい」・・・そう言い残して日本人上官は去った
台湾人生徒はこれまでの経験に照合し、了解した
帰国の為に汽車で日本の九州へ・・・
急な日本の敗戦で、私は心の切り替えが出来なかった
日本兵の軍服で汽車に乗っていた私は、周囲からは敗戦で消沈した日本人に見えたのだろう
8月15日から急に横暴になった朝鮮人に嫌がらせされた
座席に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれた
取り返そうとすると、「お前はなんだ!朝鮮人を侮蔑したな!降りて来い!」と、たちまち数人に囲まれてしまった
一人と多数・・・勝てない・・・
「ごめんなさい私の勘違いでした」と謝り、ピンチを逃れる事しか出来なかった
それから佐世保に到着するまでの30時間・・・朝鮮人は執拗に私と日本人乗客を苛め続けた
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、「次の駅で窓から降りろ!」と命令し、苛めていた
朝鮮人の酷すぎる情けない行為を、私は内臓が沸騰するような怒りを感じながら眺めていた
黙って見ているしか出来なかったのだ・・・
(中略)
佐世保のキャンプで私は面白い場面に遭遇した
あの朝鮮人たちが、「中華民国台湾青年隊」の腕章を着けた我々にお世辞を言いながら擦り寄ってきたのだ!
それは中華民国が連合軍の一員であったからだ
弱者には傲慢で、強者には媚びる・・・
そんな朝鮮人の極端な習性を私は目撃したのだった
しかし、大国の狭間で生存しなければならなかった環境が、そうした民族性を育んだのだから、今更、それを責めても仕方が無いだろう・・・
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「日韓併合前後 朝鮮半島写真館」
http://photo.jijisama.org/
「パクリ文化の韓国文化」
http://nandakorea.sakura.ne.jp/frame.html
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