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第一大邦丸事件 その1

投稿者: korea_damedame 投稿日時: 2006/04/15 13:55 投稿番号: [19465 / 230347]
第一大邦丸事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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第一大邦丸事件とは、1952年2月4日に公海上(済州島沖20マイルの農林漁区第284漁区と思われる海域)で操業中であった福岡の漁船『第一大邦丸(57トン)』及び『第二大邦丸(57トン)』が、韓国の漁船『第一昌運号』及び『第二昌運号』(各約55トン)を利用した韓国海軍によって銃撃、拿捕され、その際に第一大邦丸漁撈長が被弾して死亡した事件である。

背景
1952年1月18日、韓国は李承晩ラインを設定し、竹島、対馬島及びその周辺海域における韓国の主権を主張し始めた。

拿捕されるまで
1952年1月22日に、第一大邦丸及び第二大邦丸は、福岡を出航し2月4日には二百八十四農林漁区で操業していた。
同日午前7時ごろに、第一大邦丸の南西より韓国の漁船である第一昌運号及び第二昌運号が北上して接近してきた。そして日本語で「魚は獲れますか」と話してきた。韓国船はそのまま行過ぎ、付近で停止して操業(を装って日本船を監視)していた。しばらくして第一大邦丸が揚網作業に入ると、そのとき船尾から30メートル程度の距離にあった韓国船が、自動小銃で第一大邦丸への銃撃を開始した。日本側二隻は逃走を開始したが、8時15分には第二大邦丸が拿捕され、逃走していた第一大邦丸も銃撃が熾烈で、逃走を断念した。この時操舵室内に坐っていた漁撈長は、後頭部左側より銃撃をうけ、意識不明となる。第一大邦丸は8時30分に拿捕され、第一昌運号の船員に「翰林に行け」と日本語で命令された。

取調べが始まるまで
同船は11時30分に済州島の翰林面に入港させられ、日本人船員は憲兵によって警察に引き渡され、船内の目ぼしい私物、装備及び漁獲物は警察に没収された。その際に日本人船員側が憲兵に対して負傷者がある旨を伝えたので、船員は翰林面の高医院に収容された。高医院とは名ばかりの医院で病室はもちろん設備も全く無く、医師は見ただけで「これは駄目だ」といって漁撈長の手当てを拒否した。船員たちは警察に行き軍病院かかどこかへの入院を依頼した。しかし警察は「我々は軍の命令によって行動したのであって、我々に責任はない」と拒絶した。そこで船員たちは憲兵隊へ行き、病院への収容を再度依頼したが、憲兵隊長に「盲貫銃創だからとても駄目だ」と言われて再度拒否された。船員側の度重なる依頼の末、軍病院への入院が許可された。その際に「車は直ぐ来ますから」と言われたため、船員はそのまま漁撈長の元へ行った。病院までの搬送の間に漁撈長が死なないように、医者にリンゲルの注射を求めたが、医者はリンゲルは高価だと躊躇。結局船員が私物を売り払って金を払う約束をしてリンゲルを一本射ってもらった。
しかし韓国側は結局車を出さず漁撈長を放置し、漁撈長は2月6日の23時に死亡した。翌日漁撈長の遺体は命中弾が軍のものか警察のものか判明させる為に韓国側によって解剖され、結果憲兵の銃撃によるものであることが判明した。同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
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