七つの子=炭鉱に強制連行された朝鮮人
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2011/02/12 20:19 投稿番号: [184675 / 230347]
週間新潮の6月17日号(23号)に「童謡『七つの子』は強制連行された朝鮮人の歌という『永六輔』」というショッキングなタイトルが掲載された。ご存知の方も多いと思う。週間新潮では、さんざんに永六輔さんをけなしていたが
はたしてその真偽の程はどうなのだろう?あまりにも一方的なその言い回しをくわしく検証してみたい。
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj040704.html
「『・・・雨情が明治40年に出した詩集『朝花夜花』の中に原型になった詩があります。”烏なぜなく 烏は山に 可愛い七つの子があれば”という短いものです。・・・永さんは強制連行された朝鮮人が炭塵で真っ黒になっている様だといっているようですが、時代がちがうのではないでしょうか』日韓併合は明治43年。当時、日本政府は朝鮮からの渡航を制限しており、明治44年の時点で、朝鮮人は国内にわずか2000人程度という記録もある。・・・」。この部分であるが、確かに雨情が「炭塵で真っ黒になった」朝鮮人を烏になぞらえたという点には問題がありそうである。雨情がどこの炭鉱で働く朝鮮人を見たのかもはっきりしない。そもそも、この原型となった詩自体、いつ作られたのかもはっきりしていない。わかっているのは明治40年以前という点のみである。しかし、ここで考えるべきなのは、この時期が日露戦争で石炭の増産が行われていた時期であり 炭鉱労働者がかなり増えていた点だ。「朝鮮人」が誤りだったとしても、炭鉱で働く労働者を見てこの詩を書いた可能性は否定できないはずだ。それを まったくの「こじつけ」のように書くのは 公平ではないのではないだろうか?
中略
系図を見ると明らかなように、この神永喜八は 野口雨情の叔父に当る人物である。想像ではあるが、神永喜八と共に、炭鉱を訪れたこともあるだろうし そこで働く労働者(「炭塵で真っ黒になった」)を見たであろう。また、これらの労働者が カラスと呼ばれていることも聞いた事があったかもしれない。
あくまで、想像にしか過ぎない。雨情が当時どのような考え、どのような気持ちでその詩を作成したかは、雨情本人にしかわからない。しかも、終戦を迎えることなく亡くなってしまっているから 本当の気持ちを言葉や文章に残すことが出来なかったとも考えられる。本当に 空をゆくカラスを見て、「七つの子」を作ったのかもしれない。
ただ、気になるのが「七つの子」の基になった詩では、「烏なぜなく」と書かれている点だ。これが「七つの子」になると「烏 なぜ啼くの」に変わっている。この変化は 何を意味するのであろうか?「啼く」ならば 当然その主体はカラスであろう。しかし 平仮名で「なく」と書かれているならば その主体はカラスとは限らないのではないだろうか?
ここに、彌生書房から出版されている続野口雨情詩集「船頭小唄」という本がある。この本のなかの解題は 野口存彌氏が書かれている。(雨情の息子さんである)その一文を引用してみよう。
「・・・『七つの子』の原形が明治四十年発表の『山烏』(『朝花夜花』収録)であることはよく知られており、『山烏』にも『七つの子』という詩句がうたわれているが、『七つの子』とは帯びときの式を迎えた七歳の女児をさすのではないか、と考えられる。帯びときの式というのは古い民俗行事をとりあげ、遠い時代の民衆の夢や祈りのなかをかけめぐることによって、父は『山烏』を書き、さらに大正十五年に至って『七つの子』という新しい童謡をうたいあげることができたのである。・・・」(船頭小唄−解題P230より引用)。この説を受け入れるならば、永氏の言われた『七つの子』が、(朝鮮人の存在は別として)炭坑で働く労働者が 泣く泣く働いている様を書いた詩であることを否定する事は出来ないのではないか?そんな風に考えるのである。
日本へ強制連行されたされた朝鮮の方々の苦難の時代
こんな童謡の中からでも垣間みられるとは。。
『火のないところに煙は立たぬ』の如し、ネオナチ嫌韓族がどう歪曲しようが
全く事実がない所には噂は立たない、こんな話があるからには、必ず何らかの根拠があります
あしからず
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj040704.html
「『・・・雨情が明治40年に出した詩集『朝花夜花』の中に原型になった詩があります。”烏なぜなく 烏は山に 可愛い七つの子があれば”という短いものです。・・・永さんは強制連行された朝鮮人が炭塵で真っ黒になっている様だといっているようですが、時代がちがうのではないでしょうか』日韓併合は明治43年。当時、日本政府は朝鮮からの渡航を制限しており、明治44年の時点で、朝鮮人は国内にわずか2000人程度という記録もある。・・・」。この部分であるが、確かに雨情が「炭塵で真っ黒になった」朝鮮人を烏になぞらえたという点には問題がありそうである。雨情がどこの炭鉱で働く朝鮮人を見たのかもはっきりしない。そもそも、この原型となった詩自体、いつ作られたのかもはっきりしていない。わかっているのは明治40年以前という点のみである。しかし、ここで考えるべきなのは、この時期が日露戦争で石炭の増産が行われていた時期であり 炭鉱労働者がかなり増えていた点だ。「朝鮮人」が誤りだったとしても、炭鉱で働く労働者を見てこの詩を書いた可能性は否定できないはずだ。それを まったくの「こじつけ」のように書くのは 公平ではないのではないだろうか?
中略
系図を見ると明らかなように、この神永喜八は 野口雨情の叔父に当る人物である。想像ではあるが、神永喜八と共に、炭鉱を訪れたこともあるだろうし そこで働く労働者(「炭塵で真っ黒になった」)を見たであろう。また、これらの労働者が カラスと呼ばれていることも聞いた事があったかもしれない。
あくまで、想像にしか過ぎない。雨情が当時どのような考え、どのような気持ちでその詩を作成したかは、雨情本人にしかわからない。しかも、終戦を迎えることなく亡くなってしまっているから 本当の気持ちを言葉や文章に残すことが出来なかったとも考えられる。本当に 空をゆくカラスを見て、「七つの子」を作ったのかもしれない。
ただ、気になるのが「七つの子」の基になった詩では、「烏なぜなく」と書かれている点だ。これが「七つの子」になると「烏 なぜ啼くの」に変わっている。この変化は 何を意味するのであろうか?「啼く」ならば 当然その主体はカラスであろう。しかし 平仮名で「なく」と書かれているならば その主体はカラスとは限らないのではないだろうか?
ここに、彌生書房から出版されている続野口雨情詩集「船頭小唄」という本がある。この本のなかの解題は 野口存彌氏が書かれている。(雨情の息子さんである)その一文を引用してみよう。
「・・・『七つの子』の原形が明治四十年発表の『山烏』(『朝花夜花』収録)であることはよく知られており、『山烏』にも『七つの子』という詩句がうたわれているが、『七つの子』とは帯びときの式を迎えた七歳の女児をさすのではないか、と考えられる。帯びときの式というのは古い民俗行事をとりあげ、遠い時代の民衆の夢や祈りのなかをかけめぐることによって、父は『山烏』を書き、さらに大正十五年に至って『七つの子』という新しい童謡をうたいあげることができたのである。・・・」(船頭小唄−解題P230より引用)。この説を受け入れるならば、永氏の言われた『七つの子』が、(朝鮮人の存在は別として)炭坑で働く労働者が 泣く泣く働いている様を書いた詩であることを否定する事は出来ないのではないか?そんな風に考えるのである。
日本へ強制連行されたされた朝鮮の方々の苦難の時代
こんな童謡の中からでも垣間みられるとは。。
『火のないところに煙は立たぬ』の如し、ネオナチ嫌韓族がどう歪曲しようが
全く事実がない所には噂は立たない、こんな話があるからには、必ず何らかの根拠があります
あしからず
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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