Re: 寅さんが在日>設定としてありえない
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2011/01/31 22:14 投稿番号: [183850 / 230347]
>あのさ、
監督の山田洋次さんが、
寅さんは、在日じゃない、っていったら在日じゃないの。
それで終りのハナシ。
役上の寅さんは関係ないのよ。
僕は、「渥美清」の話をしている。(猛爆)
>次いで渥美清在日説だが、渥美清の親御さんが新聞記者、学校の先生なら、朝鮮人ってことはありえないだろう、とも言ったはず。
ウィキ
1928年(昭和3年)3月10日に、東京府東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)で地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母タツとの間に次男として生まれる。兄に健一郎がいる。
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上記の通りなら、普通の家庭以上なんだから、内職で封筒貼りなどしないね。ご近所の手前恥ずかしいからな。(猛爆)
1934年11月、上野の板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居。それに伴い、志村第一尋常小学校へ転入。小学生時代はいわゆる欠食児童であったという。加えて、病弱で小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていた。その為学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。欠席中は、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごし、覚えた落語を学校で披露すると大変な評判だったという。
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ウィキの異説
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渥美清のプライベートは謎につつまれた点が多く、経歴にはいくつかの異説がある。小林信彦著の『おかしな男 渥美清』の略年譜によれば、1940年に志村第一尋常小学校を卒業後、志村高等小学校に入学する。1942年に卒業し、14歳で志村坂上の東京管楽器に入社するが退社し、その後は「家出をしてドサ回り」をしていたとのことである。
1940年に板橋城山高等小学校に入学。第二次世界大戦中の1942年に巣鴨中学校に入学するが、学徒動員で板橋の軍需工場へ駆り出される。1945年に同校を卒業するも、3月10日の東京大空襲で自宅が被災し焼け出される。偶然にもこの日は渥美の17歳の誕生日であった。
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ウィキの異説
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巣鴨学園関係者によると、戦前の在籍記録は戦災により焼失しており、在籍の有無は公式にはなんとも言えないという。しかし、何人かのOBの証言によれば、在籍はしていたが、卒業はしていないとのことである。
経歴も矛盾だらけで、信憑性など無いね。(猛爆)
これは メッセージ 183845 (run_run72 さん)への返信です.
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