マヌケな干山島くんへ
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/11/10 18:07 投稿番号: [179469 / 230347]
>下の検証を良く見ろボケ!
お前アホだろ?
そんなマヌケな映像を本気にしてるお前たちだから
海上保安上の人が海に突き落とされても
ヘラヘラしてられるんだろうね。
もっと真剣に
何が真実なのか考えろって!
東国輿地勝覧付属の八道総図が描かれたのは1481年だ。比較してる日本の地図と年代が違うだろ?
しかもその後に出てくるレリーフは古地図じゃない。独島博物館に鬱領島・独島の位置関係を簡潔に案内している現代のレリーフだよ。
古地図と一緒にするなんて
お前らほんとアホだろ?
>では、その根拠として、その記述の中の于山が于山島であり、それが独島と特定できる文書を出せよ。
于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、新羅時、称于山国、一云鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、及多以木造猛獣、分載戦船、抵其国、誑之曰、汝若不服、則即放此獣、国人懼来降、高麗太祖十三年、其島人、使白吉、土豆、献方物、毅宗十三年、審察使金柔立等、回来告、島中有泰山、従山頂向東行至海、一万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩、有村落基址七所、或有石仏像、鉄鐘、石塔、多生紫胡蒿本・石南草、我太祖時、聞流民迯人其島者甚多、再命三陟人金麟雨、為安撫使、刷出空其地、麟雨言、土地沃饒、竹大如柱、鼠大如猫、桃核大於升、風物称是
これは メッセージ 179464 (haru2101n さん)への返信です.
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