トピ屑の声闘による自爆のための発言
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2010/10/10 10:37 投稿番号: [177567 / 230347]
よう、暗愚。
言い訳に窮したのか、またずいぶんと短いなw
>仁祖と王子と家臣は檀下で伏地謝罪したのさ。(猛爆)
三田渡の儀式に出たのは、仁祖と三公の他には判書、承旨等の7人だけで、昭顕世子はそれ以外の諸官を率いて三田渡まで随行したのみで式には不参加。
江華島で捕虜になった鳳林大君と麟坪大君も、降伏の儀式後、仁祖一行が宴会場に移動してやっと、その他の江華島で捕虜になった者達と共に仁祖と対面しており、宴には参加したものの儀式自体には不参加。
と、史料の記述を読めば、降伏式で伏地謝罪をしたのが仁祖と三公及び判書ら七名だけである事は、普通はすぐに理解出来ることなんだが、まあ、お前がまた一つ馬鹿を晒したと言う事だけは確かだなw
>No.177153
で既出。(猛爆)
お前がソースだと言い張る、朝鮮国書礼曹参議李拭奉復対馬州太守平朝臣宗公書には、何処にも礼部の記述はない。
以下は、朝鮮国書礼曹参議李拭奉復対馬州太守平朝臣宗公書の本文を書き起こした物。
朝鮮国書礼曹参議李拭
奉復対馬州太守平朝臣宗公 足下
書来得審
迪吉開慰所
献礼物謹
啓收了将土宣正布拾匹并
給賜甘茶割綿紬弐匹付回使惟
領留余冀
自王不宣
萬暦四年五月 日
礼曹参議李拭
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000103
この史料から分かる事と言えば、
・礼曹という機関がある事
・礼曹には参議という役職がある事
・参議の名は李拭
・応永の外寇後も朝鮮が対馬を日本であると認識し、外交文書を発している事
だけで、礼部が礼曹の下部組織である事なんてどこからも読み取れない。
つまり、礼部が六曹の一つである礼曹の下部組織である事を、ソース付きで証明した事にはならず、当然既出ではない。
ほれ、とっとと証明してみろ暗愚。
あと、こっちの釈明はどうするつもりだ。
>お前が引用したのは、
No.176565 アホタンロボ
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
↑
これに答えているのよ。
「儀場の壇に座ったのは仁祖」と書いてあるから、「請上登壇」で式後の話ね。(猛爆)
↑
とね。<
人の発言内容まで捏造するまで堕ちたと。
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
は、No.172809でお前がした馬鹿解釈。
No.176565
No.172809のトピ屑
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
その馬鹿解釈に対する添削
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
それに対するNo.176213でのトピ屑の馬鹿反論
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
時系列・・・儀式前の話なのに、儀式後の宴の話を持ち出す。
位置関係・・・ホンタイジが北、仁祖が南なのに、ホンタイジが北、仁祖が東に座った宴の記述を出して反論。
アホとしか言いようがないわな。
更に、還=替と馬鹿変換してるんだから、なおのこと救いようがない。
まあ、どちらにしろ、三田渡での儀式で壇上に座ったのはホンタイジではなく仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣という馬鹿解釈の抗弁にはなっていないわな。<
それ以前に、No.176423で、
>で、席替えしないと宴会開けないだろうが?
ホンタイジと王子7人、仁祖と大君2名が壇上の「宴会場」に座るんだからさ。(猛爆)<
と、元々は壇上に居たホンタイジと仁祖が席替えをしたと馬鹿解釈してただろうに。
ほれ、とっとと答えてみろ暗愚。
言い訳に窮したのか、またずいぶんと短いなw
>仁祖と王子と家臣は檀下で伏地謝罪したのさ。(猛爆)
三田渡の儀式に出たのは、仁祖と三公の他には判書、承旨等の7人だけで、昭顕世子はそれ以外の諸官を率いて三田渡まで随行したのみで式には不参加。
江華島で捕虜になった鳳林大君と麟坪大君も、降伏の儀式後、仁祖一行が宴会場に移動してやっと、その他の江華島で捕虜になった者達と共に仁祖と対面しており、宴には参加したものの儀式自体には不参加。
と、史料の記述を読めば、降伏式で伏地謝罪をしたのが仁祖と三公及び判書ら七名だけである事は、普通はすぐに理解出来ることなんだが、まあ、お前がまた一つ馬鹿を晒したと言う事だけは確かだなw
>No.177153
で既出。(猛爆)
お前がソースだと言い張る、朝鮮国書礼曹参議李拭奉復対馬州太守平朝臣宗公書には、何処にも礼部の記述はない。
以下は、朝鮮国書礼曹参議李拭奉復対馬州太守平朝臣宗公書の本文を書き起こした物。
朝鮮国書礼曹参議李拭
奉復対馬州太守平朝臣宗公 足下
書来得審
迪吉開慰所
献礼物謹
啓收了将土宣正布拾匹并
給賜甘茶割綿紬弐匹付回使惟
領留余冀
自王不宣
萬暦四年五月 日
礼曹参議李拭
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000103
この史料から分かる事と言えば、
・礼曹という機関がある事
・礼曹には参議という役職がある事
・参議の名は李拭
・応永の外寇後も朝鮮が対馬を日本であると認識し、外交文書を発している事
だけで、礼部が礼曹の下部組織である事なんてどこからも読み取れない。
つまり、礼部が六曹の一つである礼曹の下部組織である事を、ソース付きで証明した事にはならず、当然既出ではない。
ほれ、とっとと証明してみろ暗愚。
あと、こっちの釈明はどうするつもりだ。
>お前が引用したのは、
No.176565 アホタンロボ
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
↑
これに答えているのよ。
「儀場の壇に座ったのは仁祖」と書いてあるから、「請上登壇」で式後の話ね。(猛爆)
↑
とね。<
人の発言内容まで捏造するまで堕ちたと。
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
は、No.172809でお前がした馬鹿解釈。
No.176565
No.172809のトピ屑
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
その馬鹿解釈に対する添削
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
それに対するNo.176213でのトピ屑の馬鹿反論
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
時系列・・・儀式前の話なのに、儀式後の宴の話を持ち出す。
位置関係・・・ホンタイジが北、仁祖が南なのに、ホンタイジが北、仁祖が東に座った宴の記述を出して反論。
アホとしか言いようがないわな。
更に、還=替と馬鹿変換してるんだから、なおのこと救いようがない。
まあ、どちらにしろ、三田渡での儀式で壇上に座ったのはホンタイジではなく仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣という馬鹿解釈の抗弁にはなっていないわな。<
それ以前に、No.176423で、
>で、席替えしないと宴会開けないだろうが?
ホンタイジと王子7人、仁祖と大君2名が壇上の「宴会場」に座るんだからさ。(猛爆)<
と、元々は壇上に居たホンタイジと仁祖が席替えをしたと馬鹿解釈してただろうに。
ほれ、とっとと答えてみろ暗愚。
これは メッセージ 177555 (topics_jk さん)への返信です.
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