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アシカを絶滅へ追い込んだのはニホン人

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/08/13 17:40 投稿番号: [173233 / 230347]
泥棒根性と責任転嫁は   倭人の倭人たる所以だな。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くの生息地で漁獲や駆除が行われ、明治40年代には銚子以南から伊豆半島の地域でみられなくなり、同時期の1909年(明治42年)の記録では東京湾沿岸からも姿を消し、記録がある相模湾、三河湾周辺の篠島・伊良湖岬、瀬戸内海の鳴門などの日本各地に生息していた個体群も20世紀初頭には次々と絶滅に追いやられ、その棲息域は竹島などの一部地域に狭められていった。

竹島周辺のアシカ漁は、1900年代初頭から本格的に行われるようになった。乱獲が懸念されたため、1905年(明治38年)2月22日に同島の所属を島根県に決定、同年4月に同県が規則を改定してアシカ漁を許可漁業に変更、行政が許可書獲得者に対し指導して、同年6月には共同で漁を行うための企業「竹島漁猟合資会社」が設立されて組織的な漁が始まる。アシカ漁では平均して年に1,300-2,000頭が獲られており、1904年(明治37年)からの僅か6年間で14000頭も捕獲するなど、明治大正年間の乱獲によって個体数・捕獲数共に減少していった。

日本海側では九州長崎港以北の沿岸域や欝陵島、竹島、隠岐島からサハリン南部まで、大陸沿岸では北朝鮮豆満江河口、太平洋側では九州宮崎市大淀河口以北、北海道から千島、カムチャッカ半島南端まで生息記録がある。

上で示した分布記録のうち大部分は1930年代以前のもので、それ以後のものとしては青森県久六島で1950年代初期まで少数が繁殖していたこと、同じ頃竹島での50〜60頭の目撃例、1950年代サハリン南部での記録、1960年代のカムチャッカ半島南部や北千島での死体発見や目撃例があり、もっとも新しい記録は1974年礼文島沖での幼獣1頭の生け捕りである。


つまり絶滅に追いやったのは   おまいらなんだよ、ドアホ!
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