性懲りも無く(股)ですか?笑
投稿者: hitonare 投稿日時: 2010/08/12 19:20 投稿番号: [173116 / 230347]
謝罪求め日本政府に書簡 北朝鮮で元慰安婦ら集会
2010年8月12日(木)18:18
【平壌共同】北朝鮮平壌の人民文化宮殿で12日、日本による併合100年と植民地支配からの解放65年に合わせて強制連行被害者や元従軍慰安婦らによる「証言集会」が開かれ、早期に謝罪や賠償に取り組むよう求める日本政府への「被害者と遺族一同」名義の書簡を送付することを決めた。北朝鮮が過去清算を求める書簡を日本政府に送るのは6年ぶりで、民主党政権では初めて。
笑顔で日本糾弾…在米韓国人に違和感 慰安婦問題の現状
2010年8月7日(土)08:00
韓国の有力紙・東亜日報は年初から「創刊90周年・年中企画」と銘打ち「韓日強制併合100年/100年の記憶、100年の未来」と題する大型記事を連載している。
そこでも元慰安婦の老女(82)が登場し過去を語っている。彼女の「記憶」はこうなっている。
「父と死別し、再婚した母に連れられ忠清南道禮山にいた17歳の時、中国に行けば工場で働かなくてもお金を稼げる、という近所のお姉さんの話を聞いて、1944(昭和19)年6月、故郷を離れ、ソウルや中国の天津を経て12月に中国の漢口に着いた。着いてからどういう所か知ったが言葉も分からず、道も知らず、逃げ出すことなどできなかった。そこには12棟ほどの慰安所があり、入り口には日本軍が使っていた建物が守っていた。言うことを聞かないと平壌出身という主人夫婦に棒で殴られる者もいた…」
8カ月後、1945年の日本の敗戦で同僚の多くは韓国に戻ったが、彼女は中国にとどまった。55年に子連れの中国人男性と結婚し中国で暮らしてきたが、2003年に民間団体の支援で帰国し韓国籍を復活した。しかし頼れる者もなく、周囲の冷たい目もあって2年半後、中国に戻ったという。彼女とのインタビューは現在の居住地である中国・武漢で行われている。
彼女はインタビューの最後でこう語っている。
「日本の民間団体も訪ねてきて日本の過ちを謝罪し、お金をくれようとしたが一切、断った。いくらであろうが日本が公式に謝罪し法に従い補償するのなら受け取れるけれど…」
>17歳の時、中国に行けば工場で働かなくてもお金を稼げる、という近所のお姉さんの話を聞いて、1944(昭和19)年6月、故郷を離れ
近所のお姉さんが口入屋ですよね
>そこには12棟ほどの慰安所があり、入り口には日本軍が使っていた建物が守っていた。
日本軍が守っていたのではなく、建物が守っていた?
>言うことを聞かないと平壌出身という主人夫婦に棒で殴られる者もいた…」
日本軍が殴ったわけじゃないんですねえ。
>「日本の民間団体も訪ねてきて日本の過ちを謝罪し、お金をくれようとしたが一切、断った。いくらであろうが日本が公式に謝罪し法に従い補償するのなら受け取れるけれど…」
82歳のおばあさんに、こんな見解を語れるのかなあ、と思う。
> 先年、米議会に日本非難の慰安婦問題決議案を採択させることに成功した在米韓国人団体(韓国人有権者センター)の学生たちが、議会を訪れあらためて慰安婦問題を訴えたという。
このニュースには、米議会をバックに若者たちの笑顔(!)の写真が添えられていた。在米韓国人が米国で日本糾弾−若者たちはこれによって異国における韓国人としての一体感を味わっているのだろうか。
「これで俺も韓国人だ」と・・・・このトピの在日とおんなじですねえ。
2010年8月12日(木)18:18
【平壌共同】北朝鮮平壌の人民文化宮殿で12日、日本による併合100年と植民地支配からの解放65年に合わせて強制連行被害者や元従軍慰安婦らによる「証言集会」が開かれ、早期に謝罪や賠償に取り組むよう求める日本政府への「被害者と遺族一同」名義の書簡を送付することを決めた。北朝鮮が過去清算を求める書簡を日本政府に送るのは6年ぶりで、民主党政権では初めて。
笑顔で日本糾弾…在米韓国人に違和感 慰安婦問題の現状
2010年8月7日(土)08:00
韓国の有力紙・東亜日報は年初から「創刊90周年・年中企画」と銘打ち「韓日強制併合100年/100年の記憶、100年の未来」と題する大型記事を連載している。
そこでも元慰安婦の老女(82)が登場し過去を語っている。彼女の「記憶」はこうなっている。
「父と死別し、再婚した母に連れられ忠清南道禮山にいた17歳の時、中国に行けば工場で働かなくてもお金を稼げる、という近所のお姉さんの話を聞いて、1944(昭和19)年6月、故郷を離れ、ソウルや中国の天津を経て12月に中国の漢口に着いた。着いてからどういう所か知ったが言葉も分からず、道も知らず、逃げ出すことなどできなかった。そこには12棟ほどの慰安所があり、入り口には日本軍が使っていた建物が守っていた。言うことを聞かないと平壌出身という主人夫婦に棒で殴られる者もいた…」
8カ月後、1945年の日本の敗戦で同僚の多くは韓国に戻ったが、彼女は中国にとどまった。55年に子連れの中国人男性と結婚し中国で暮らしてきたが、2003年に民間団体の支援で帰国し韓国籍を復活した。しかし頼れる者もなく、周囲の冷たい目もあって2年半後、中国に戻ったという。彼女とのインタビューは現在の居住地である中国・武漢で行われている。
彼女はインタビューの最後でこう語っている。
「日本の民間団体も訪ねてきて日本の過ちを謝罪し、お金をくれようとしたが一切、断った。いくらであろうが日本が公式に謝罪し法に従い補償するのなら受け取れるけれど…」
>17歳の時、中国に行けば工場で働かなくてもお金を稼げる、という近所のお姉さんの話を聞いて、1944(昭和19)年6月、故郷を離れ
近所のお姉さんが口入屋ですよね
>そこには12棟ほどの慰安所があり、入り口には日本軍が使っていた建物が守っていた。
日本軍が守っていたのではなく、建物が守っていた?
>言うことを聞かないと平壌出身という主人夫婦に棒で殴られる者もいた…」
日本軍が殴ったわけじゃないんですねえ。
>「日本の民間団体も訪ねてきて日本の過ちを謝罪し、お金をくれようとしたが一切、断った。いくらであろうが日本が公式に謝罪し法に従い補償するのなら受け取れるけれど…」
82歳のおばあさんに、こんな見解を語れるのかなあ、と思う。
> 先年、米議会に日本非難の慰安婦問題決議案を採択させることに成功した在米韓国人団体(韓国人有権者センター)の学生たちが、議会を訪れあらためて慰安婦問題を訴えたという。
このニュースには、米議会をバックに若者たちの笑顔(!)の写真が添えられていた。在米韓国人が米国で日本糾弾−若者たちはこれによって異国における韓国人としての一体感を味わっているのだろうか。
「これで俺も韓国人だ」と・・・・このトピの在日とおんなじですねえ。
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