不滅の李舜臣、23戦23勝の歴史の始まり。
投稿者: i_am_not_ill 投稿日時: 2010/07/01 03:18 投稿番号: [170168 / 230347]
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玉浦の戦い
朝鮮水軍の全羅道左水使李舜臣は地元漁船と偵察船の情報網により、日本軍の動きの情報を得ていた。1592年5月5日(陰暦)の早朝、李舜臣と全羅道右水使李億祺は板屋船24隻、小さな軍船15隻、および小舟(漁船など)46隻を率いて、日没までには慶尚道の水域に入った。
明けて6日、全羅道水軍は慶尚道右水使元均の艦隊との会合地点に向かい、7日になって元均の艦隊と会合し、合わせて91隻の艦隊となり、巨済島を迂回して加徳島を目指したが、偵察船が巨済島の玉浦港に50隻の日本船を発見、朝鮮軍は碇泊中の日本船団に対し砲撃を加えた。不意を打たれた日本船団は各個逃走を始めた。これを受けて朝鮮水軍は日本船を取り囲み、包囲砲撃により沈めた。夜に入って、朝鮮水軍は更に5隻の日本船を発見し、この内の4隻を破壊した。
翌日8日、情報を受けて朝鮮水軍は赤珍浦にいる日本船13隻に接近した。前日の玉浦での勝利と同様に、朝鮮水軍は日本船11隻を破壊して、朝鮮水軍は1隻も失うことなく玉浦の戦いを終えた。
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