オリンピック、さて台湾猿の金メダルは?
投稿者: i_am_not_ill 投稿日時: 2010/06/01 22:18 投稿番号: [166756 / 230347]
ゼロ、ではなかった!
ゼロ、ではなかった!
ゼロ、ではなかった!
二つも。
ちょっと驚いた。てっきりゼロだと思っていたから。
その競技は?
テコンドー。
韓国に感謝しろ。テコンドーがなければ、金メダルは「ゼロ〜」のままだったから。
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アテネ・オリンピック女子49キロ以下級のテコンドーは陳詩欣(台湾)とヤネリス・ラブラダ(キューバ)との決勝となり、5:4で 陳詩欣優勢のまま終盤を迎えようちしておりました。会場に詰めかけた200人以上の応援団の大声援を受けて、陳詩欣(26才)は、あと数分で祖国、台湾にとって五輪史上初の金メダルを手にするとの思いがこみ上げてやや動きが鈍くなりました。すかさず、相手のヤネリス・ラブラダ(キューバ)は攻勢に出て、陳詩欣は守勢一方になり、審判からたて続けに3回の警告を受けてピンチになりました。しかし彼女は何とか相手の猛攻を交わしてそのまま試合終了、彼女はコーチと抱き合って喜びをともにしました。
喜びを噛み締める彼女の脳裏に父親の姿が過ぎりました。陳詩欣は、テコンドーの選手だった父親の指導を5歳の頃から受けて14歳で台湾代表チーム入りし、 15歳で国際試合に初めて出場して優勝し、その後も国際試合で7回も金メダルを獲得して、「早熟の天才」とうたわれました。しかし、“17歳の時、長期の苦しい訓練に耐えられず、燃え尽き症候群”にかかって、訓練キャンプを脱出して行方不明になってしまいました。
その間、生活のために道端で、台湾特産の檳榔(びんろう)売りをしたりして3年間の流浪生活をしていました。この檳榔は木の実で、覚醒作用のある成分を含んでいるので、本来は食用としては問題が有るようですが、何故か観光客などに人気が有ってよく売れるのです。どうも、その原因はその味にあるのではなく、売り子さんが若い女の子で、ビキニの水着や下着姿で露出度が高いことにあるようです。従って、台湾ではどちらかと言えば、顰蹙を買う職業ですので、彼女はかなり落ち込んだ生活をしていたことが窺われます。
ところがある日、アパートでテレビのある広告を見て彼女は胸をうたれました。その広告は、親孝行したくても親はもういないという内容でした。自分をここまで育ててくれた父親を思い浮かべるととどめなく涙が出てきました。彼女はぐれた心を改めて父親の誕生日の日に家に戻って、父親に深く自分の過ちを詫び、再度戦うことを誓って練習に励み、こうして栄光を掴んだのでした。
そして、彼女の優勝を知って奮起した男子58キロ以下級の朱木炎選手がメキシコの選手に勝って金メダルを獲得し台湾はテコンドーで一気に金メダル2個を獲得したため、アーチェリー団体競技で男子が銀メダル、女子は銅メダルを獲得していたことから、台湾のメダル獲得数は、合計5個となり、台風17号の直撃による被害も忘れて台湾は歓喜に湧きました。そして、表彰式ではじめてチャイニーズタイペイとしてIOCに認められた歌が場内に流れた時、あれが青天白日旗のもと、中華民国・国歌だったらどんなに嬉しいかと、台湾の人たちは歓喜に噎びながらも複雑な思いで耳を傾けたのでした。
1984年ロサンゼルス五輪から積み上げてきた金メダルが100個を突破した中国の袁偉民団長は、台湾の初の金メダル獲得を祝福して「(中台)両岸同胞の共通の喜びだ。台北(台湾)が引き続きよい成績を出すことを希望する」と台湾側にメッセージを送りました。まさに体制を超えた記念すべき金メダルとなりました。
ゼロ、ではなかった!
ゼロ、ではなかった!
二つも。
ちょっと驚いた。てっきりゼロだと思っていたから。
その競技は?
テコンドー。
韓国に感謝しろ。テコンドーがなければ、金メダルは「ゼロ〜」のままだったから。
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アテネ・オリンピック女子49キロ以下級のテコンドーは陳詩欣(台湾)とヤネリス・ラブラダ(キューバ)との決勝となり、5:4で 陳詩欣優勢のまま終盤を迎えようちしておりました。会場に詰めかけた200人以上の応援団の大声援を受けて、陳詩欣(26才)は、あと数分で祖国、台湾にとって五輪史上初の金メダルを手にするとの思いがこみ上げてやや動きが鈍くなりました。すかさず、相手のヤネリス・ラブラダ(キューバ)は攻勢に出て、陳詩欣は守勢一方になり、審判からたて続けに3回の警告を受けてピンチになりました。しかし彼女は何とか相手の猛攻を交わしてそのまま試合終了、彼女はコーチと抱き合って喜びをともにしました。
喜びを噛み締める彼女の脳裏に父親の姿が過ぎりました。陳詩欣は、テコンドーの選手だった父親の指導を5歳の頃から受けて14歳で台湾代表チーム入りし、 15歳で国際試合に初めて出場して優勝し、その後も国際試合で7回も金メダルを獲得して、「早熟の天才」とうたわれました。しかし、“17歳の時、長期の苦しい訓練に耐えられず、燃え尽き症候群”にかかって、訓練キャンプを脱出して行方不明になってしまいました。
その間、生活のために道端で、台湾特産の檳榔(びんろう)売りをしたりして3年間の流浪生活をしていました。この檳榔は木の実で、覚醒作用のある成分を含んでいるので、本来は食用としては問題が有るようですが、何故か観光客などに人気が有ってよく売れるのです。どうも、その原因はその味にあるのではなく、売り子さんが若い女の子で、ビキニの水着や下着姿で露出度が高いことにあるようです。従って、台湾ではどちらかと言えば、顰蹙を買う職業ですので、彼女はかなり落ち込んだ生活をしていたことが窺われます。
ところがある日、アパートでテレビのある広告を見て彼女は胸をうたれました。その広告は、親孝行したくても親はもういないという内容でした。自分をここまで育ててくれた父親を思い浮かべるととどめなく涙が出てきました。彼女はぐれた心を改めて父親の誕生日の日に家に戻って、父親に深く自分の過ちを詫び、再度戦うことを誓って練習に励み、こうして栄光を掴んだのでした。
そして、彼女の優勝を知って奮起した男子58キロ以下級の朱木炎選手がメキシコの選手に勝って金メダルを獲得し台湾はテコンドーで一気に金メダル2個を獲得したため、アーチェリー団体競技で男子が銀メダル、女子は銅メダルを獲得していたことから、台湾のメダル獲得数は、合計5個となり、台風17号の直撃による被害も忘れて台湾は歓喜に湧きました。そして、表彰式ではじめてチャイニーズタイペイとしてIOCに認められた歌が場内に流れた時、あれが青天白日旗のもと、中華民国・国歌だったらどんなに嬉しいかと、台湾の人たちは歓喜に噎びながらも複雑な思いで耳を傾けたのでした。
1984年ロサンゼルス五輪から積み上げてきた金メダルが100個を突破した中国の袁偉民団長は、台湾の初の金メダル獲得を祝福して「(中台)両岸同胞の共通の喜びだ。台北(台湾)が引き続きよい成績を出すことを希望する」と台湾側にメッセージを送りました。まさに体制を超えた記念すべき金メダルとなりました。
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