Re: 明日、NHKスペシャル プロジェクトJA
投稿者: monjujz 投稿日時: 2010/06/01 14:16 投稿番号: [166683 / 230347]
>創始者と言うのは、資金を出した人がなるのよ。
で、厳妃に資金を出させたのが、定宗大王の庶子、宣城君の子孫である初代女性校長の李貞淑。淵沢能恵は李貞淑のお手伝いをした人なのよ。淑明女子大学70年史には、淵沢能恵も学監として記載されているからね。
だからこれが捏造なの。
昭和10年の京城日報から少し抜粋してみる。これを読んでもまだいう?
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474889&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474889
『 女子の教育の必要はいうまでもないが、さていよいよ学校を開く段取りにかかると、二進も三進も動けなくなった。自分の力だけで事を為そうとするから出来ぬのだと思って、それぞれ有力筋に話をもちかけて見ると、趣旨に賛成するが――それだけの話で一向動いてはくれなかった。悲観した、といって、誰が形をつけてくれよう。そこで厳妃を総裁に仰いで日韓婦人会を創設して、双方の婦人を交際させお互の智識の啓発と、今後の女子教育について、大いに説いて見た。ついに時機到来して耳をかす人も現われ、愈よ学校を開設することになって、李太王に校名をつけていただくことになった。すると快く『晋信館』とおつけになったが、何うも学校名としてはふさわしくない。それでこれをお返しして再び校名を御依頼したところ『曹信館は淵沢家の号にして学校の方は明新としてに何うか』とおっしゃった。これで『明新女学校』の木の香もゆかしい看板をかがけて蓋をあけたが、結果はすっかり案に相違した。』
『如何なる障害に当面しても、それを乗越え、突き破らねばならぬ。しかし思い叶って学校を開設して見ると、生徒はたった五名という案の相違に人知れず溜息を洩らすより仕方がなかった。そこで更に各方面を勧誘して漸次生徒も増加した。そのうち英親王殿下(李王垠殿下)から学校財産として一千町歩の田畑を下賜されたので、学校の経営は始めて本格的になり、現在では五百四十七名の生徒を擁するに至った。
淑明という今の校名は、李太王からおつけしていただいた『明新』は李王垠殿下の御雅号と同字なので改めようと思っている矢先、明治四十四年十一月朝鮮教育令が実施され、内容を充実させると共に淑明女子高等普通学校と改めたものである。』
>>もう一人朝鮮奨学会を作った野口遵。彼も朝鮮奨学会のホームページに名前が載ってない。彼らは顕彰されるどころか、君達の歴史から抹消されているではないか。
>とあるから、朝鮮奨学会は野口遵の創立したものではない。
で、野口遵が1940年に朝鮮総督府に500万円寄付した記録はあるから、歴史からは抹消されていないが、朝鮮総督府が朝鮮教育会奨学部に幾ら振り分けたかは不明。
ごめん。確かに創立者ではないね。ただ2000年3月6日付けの日経新聞によれば、
http://www.noguchi.or.jp/lab_noguchi.html
『こうして私財3000万円(現在の価値で約300億円)のうち、2500万円で化学工業を調査研究するための「財団法人野口研究所」が設立され、500万円を朝鮮総督府に寄付して「朝鮮奨学会」の原資とした。』
とある。
彼の寄付した(今の価値で)50億円が朝鮮奨学会の原資であるなら、沿革に名前がないのはおかしいよね。
で、厳妃に資金を出させたのが、定宗大王の庶子、宣城君の子孫である初代女性校長の李貞淑。淵沢能恵は李貞淑のお手伝いをした人なのよ。淑明女子大学70年史には、淵沢能恵も学監として記載されているからね。
だからこれが捏造なの。
昭和10年の京城日報から少し抜粋してみる。これを読んでもまだいう?
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474889&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474889
『 女子の教育の必要はいうまでもないが、さていよいよ学校を開く段取りにかかると、二進も三進も動けなくなった。自分の力だけで事を為そうとするから出来ぬのだと思って、それぞれ有力筋に話をもちかけて見ると、趣旨に賛成するが――それだけの話で一向動いてはくれなかった。悲観した、といって、誰が形をつけてくれよう。そこで厳妃を総裁に仰いで日韓婦人会を創設して、双方の婦人を交際させお互の智識の啓発と、今後の女子教育について、大いに説いて見た。ついに時機到来して耳をかす人も現われ、愈よ学校を開設することになって、李太王に校名をつけていただくことになった。すると快く『晋信館』とおつけになったが、何うも学校名としてはふさわしくない。それでこれをお返しして再び校名を御依頼したところ『曹信館は淵沢家の号にして学校の方は明新としてに何うか』とおっしゃった。これで『明新女学校』の木の香もゆかしい看板をかがけて蓋をあけたが、結果はすっかり案に相違した。』
『如何なる障害に当面しても、それを乗越え、突き破らねばならぬ。しかし思い叶って学校を開設して見ると、生徒はたった五名という案の相違に人知れず溜息を洩らすより仕方がなかった。そこで更に各方面を勧誘して漸次生徒も増加した。そのうち英親王殿下(李王垠殿下)から学校財産として一千町歩の田畑を下賜されたので、学校の経営は始めて本格的になり、現在では五百四十七名の生徒を擁するに至った。
淑明という今の校名は、李太王からおつけしていただいた『明新』は李王垠殿下の御雅号と同字なので改めようと思っている矢先、明治四十四年十一月朝鮮教育令が実施され、内容を充実させると共に淑明女子高等普通学校と改めたものである。』
>>もう一人朝鮮奨学会を作った野口遵。彼も朝鮮奨学会のホームページに名前が載ってない。彼らは顕彰されるどころか、君達の歴史から抹消されているではないか。
>とあるから、朝鮮奨学会は野口遵の創立したものではない。
で、野口遵が1940年に朝鮮総督府に500万円寄付した記録はあるから、歴史からは抹消されていないが、朝鮮総督府が朝鮮教育会奨学部に幾ら振り分けたかは不明。
ごめん。確かに創立者ではないね。ただ2000年3月6日付けの日経新聞によれば、
http://www.noguchi.or.jp/lab_noguchi.html
『こうして私財3000万円(現在の価値で約300億円)のうち、2500万円で化学工業を調査研究するための「財団法人野口研究所」が設立され、500万円を朝鮮総督府に寄付して「朝鮮奨学会」の原資とした。』
とある。
彼の寄付した(今の価値で)50億円が朝鮮奨学会の原資であるなら、沿革に名前がないのはおかしいよね。
これは メッセージ 166639 (topics_jk さん)への返信です.
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