民主党小沢氏、韓国で、韓国起源説を 語る
投稿者: ooosolemiiyo 投稿日時: 2010/05/19 12:57 投稿番号: [165795 / 230347]
30年培った韓国の山林緑化技術を北朝鮮へ
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99914&servcode=500§code=510
>>たった、30年の歴史ですか?
半万年、五千年の歴史を吹聴する、チョンピル様にしては、謙虚ですね。
5000年−30年は、4970年。
その4970年の間には、何が、有ったのか?
ただただ、荒廃、有るのみ、引く日帝35年。
明治開化期の日本と朝鮮(7)
(参照公文書は1部を除いてアジ歴資料から)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi018.html
江華府の遠景。明治9年2月 撮影 河田紀一。山に樹木が無いことが目立つ。伐採はしても植林をすることがなかったという。
朝鮮民族の森技術30年、その前の朝鮮独立後の荒廃の30年、その前の日帝による植林事業30年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE#.E6.A4.8D.E6.9E.97.E4.BA.8B.E6.A5.AD
1910年当時の朝鮮全体の山林面積は1585万ヘクタールで、全面積の71%に達していたが、木材資源を示す林木蓄積量は1ヘクタールあたり17立方メートルであり、
2009年の韓国の16.5%水準に過ぎず、特に南部の海抜の低い低地帯では若い木と禿げ山が大部だった。
2009年、つまり、民族森林技術30年の技術の成果に比べて、16.5%の水準。
優秀なる、チョンピル民族は、たった30年で韓江の奇跡か。
しかし、5000年近く、半島を荒廃に任せていた朝鮮、幾らなんでもねー。
神が舞い降りたとしか思えないが、現実は、日本帝国と言う神が舞い降りた。
植林事業とは、初代朝鮮総督府総督・寺内正毅の方針で、当時荒廃していた朝鮮半島の森林地帯を改善する目的で発令された「山林令」である。
地形調査の結果、朝鮮半島は花崗岩台地の山岳地帯で、緑が育ちにくいことが判明したことが始まりとされている。
(森林が無ければ、降雨で土砂が流れ込み、農林業に影響を及ぼす)
朝鮮総督府は「山林令」により、1911年から30年間で朝鮮半島全人口の一人当たり最低25本という植林事業を行い、換算すれば5億9千万本という植林を行ったとされている。
1924年の京城日報によれば、造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は個人の造林事業などを含めると約36万町、10億本に至ったと報告されている。
『日本が朝鮮に求めるもの』
ここで野村が、「元来両国の間、対等の権を相有しその盟を永遠に伝えんと欲せばすなわち互いに富国強兵をもって国本を固くせざるべからず。
しかして富国強兵の道はその国の人民繁殖して有無相通ずるに在るべし。
有無相通じて人民繁殖するにあらざれば以って富国強兵に由なし。
富国強兵にあらざればすなわち永遠の親盟を期し難し
と言っているが、これこそが日本が条約を結んだ朝鮮に求めているものであろう。
つまりは、「国を富ませて強くなれ。それこそが日本の同盟国たるものである。それが出来ないなら同盟国とは言わないぞ。」と。
『上下貧困、至急繁盛の市を開く時にあらず』
黒田・井上両大臣も、4月に「朝鮮國條約履行之目的」と称する建言書を提出して、朝鮮とのこれからの交際への提言を行っているが、それによれば、まず黒田たちの目に付いたのは、朝鮮の貧しさだったらしい。
「要するに上下貧困、いたるところに寂寞たる部落あるのみ」
「彼と強いて貿易せんと欲するも貨幣ある無く、産物、一の貴重すべきなければ、至急繁盛の市を開く時にあらず」と。
かつて江華島に向かう途中で。
「未開の野蛮は十分の懲戒を加えたる上に」
などときつい事を言っていたのとだいぶ様子が違い、朝鮮のことを思いやる文章となっている。
当時の日本も貧国の部類だったが、黒田たちには朝鮮の貧しさが格別なものに映ったらしい。「使鮮日記」にもそんな朝鮮の様子がいろいろと描写されている。
まず黒田は朝鮮の山に木が少ないことを繰り返し述べている。
釜山では木あっても杉や檜などの美材がなく、背の低い潅木ばかりであると、江華島では山がみな禿げていて樹木がなく目を慰
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99914&servcode=500§code=510
>>たった、30年の歴史ですか?
半万年、五千年の歴史を吹聴する、チョンピル様にしては、謙虚ですね。
5000年−30年は、4970年。
その4970年の間には、何が、有ったのか?
ただただ、荒廃、有るのみ、引く日帝35年。
明治開化期の日本と朝鮮(7)
(参照公文書は1部を除いてアジ歴資料から)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi018.html
江華府の遠景。明治9年2月 撮影 河田紀一。山に樹木が無いことが目立つ。伐採はしても植林をすることがなかったという。
朝鮮民族の森技術30年、その前の朝鮮独立後の荒廃の30年、その前の日帝による植林事業30年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE#.E6.A4.8D.E6.9E.97.E4.BA.8B.E6.A5.AD
1910年当時の朝鮮全体の山林面積は1585万ヘクタールで、全面積の71%に達していたが、木材資源を示す林木蓄積量は1ヘクタールあたり17立方メートルであり、
2009年の韓国の16.5%水準に過ぎず、特に南部の海抜の低い低地帯では若い木と禿げ山が大部だった。
2009年、つまり、民族森林技術30年の技術の成果に比べて、16.5%の水準。
優秀なる、チョンピル民族は、たった30年で韓江の奇跡か。
しかし、5000年近く、半島を荒廃に任せていた朝鮮、幾らなんでもねー。
神が舞い降りたとしか思えないが、現実は、日本帝国と言う神が舞い降りた。
植林事業とは、初代朝鮮総督府総督・寺内正毅の方針で、当時荒廃していた朝鮮半島の森林地帯を改善する目的で発令された「山林令」である。
地形調査の結果、朝鮮半島は花崗岩台地の山岳地帯で、緑が育ちにくいことが判明したことが始まりとされている。
(森林が無ければ、降雨で土砂が流れ込み、農林業に影響を及ぼす)
朝鮮総督府は「山林令」により、1911年から30年間で朝鮮半島全人口の一人当たり最低25本という植林事業を行い、換算すれば5億9千万本という植林を行ったとされている。
1924年の京城日報によれば、造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は個人の造林事業などを含めると約36万町、10億本に至ったと報告されている。
『日本が朝鮮に求めるもの』
ここで野村が、「元来両国の間、対等の権を相有しその盟を永遠に伝えんと欲せばすなわち互いに富国強兵をもって国本を固くせざるべからず。
しかして富国強兵の道はその国の人民繁殖して有無相通ずるに在るべし。
有無相通じて人民繁殖するにあらざれば以って富国強兵に由なし。
富国強兵にあらざればすなわち永遠の親盟を期し難し
と言っているが、これこそが日本が条約を結んだ朝鮮に求めているものであろう。
つまりは、「国を富ませて強くなれ。それこそが日本の同盟国たるものである。それが出来ないなら同盟国とは言わないぞ。」と。
『上下貧困、至急繁盛の市を開く時にあらず』
黒田・井上両大臣も、4月に「朝鮮國條約履行之目的」と称する建言書を提出して、朝鮮とのこれからの交際への提言を行っているが、それによれば、まず黒田たちの目に付いたのは、朝鮮の貧しさだったらしい。
「要するに上下貧困、いたるところに寂寞たる部落あるのみ」
「彼と強いて貿易せんと欲するも貨幣ある無く、産物、一の貴重すべきなければ、至急繁盛の市を開く時にあらず」と。
かつて江華島に向かう途中で。
「未開の野蛮は十分の懲戒を加えたる上に」
などときつい事を言っていたのとだいぶ様子が違い、朝鮮のことを思いやる文章となっている。
当時の日本も貧国の部類だったが、黒田たちには朝鮮の貧しさが格別なものに映ったらしい。「使鮮日記」にもそんな朝鮮の様子がいろいろと描写されている。
まず黒田は朝鮮の山に木が少ないことを繰り返し述べている。
釜山では木あっても杉や檜などの美材がなく、背の低い潅木ばかりであると、江華島では山がみな禿げていて樹木がなく目を慰
これは メッセージ 165766 (ooosolemiiyo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/165795.html