チョンピル小沢氏韓国で、韓国起源説を語る
投稿者: ooosolemiiyo 投稿日時: 2010/04/24 05:06 投稿番号: [165227 / 230347]
http://www.chosunonline.com/news/20100423000069
屈辱の象徴「三田渡碑」、本来の場所へ
石碑の本来の名前は、「三田渡清太宗功徳碑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B8%85%E7%9A%87%E5%B8%9D%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E7%A2%91
碑の名称は以下である。
中国語: Daqing Huangdi Gongde Bei(大清皇帝功紱碑)
満州語: Daicing gurun i Enduringge Han i gung erdemui bei
モンゴル語: Dayičing ulus-un Boɣda Qaɣan-u erdem bilig-i daɣurisɣaɣsan bei
>>嘘つき朝鮮人と正直日本人の違い、石碑の本来の名前は。
『三田渡清太宗功徳碑』
『大清皇帝功徳碑』
ま、チョンピルに正直など、求めるのは、無駄、無益の、極致。
処で、この『大清皇帝功徳碑』に書いてある、この部分。
「和議の内容」
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
>>これ、宗主国と属国の関係で言えば、朝鮮の両班に清国、満州系の嫁なり婿を迎えるということではないでしょうか。
此れは、江戸時代の、徳川宗家と各大名との関係に類似するのではないか。
だとしたら、両班の多くが、清国系といえないだろうか?
元に、閔妃は清国系と朝鮮駐在の、日本政府高官が聞いて、驚いたそうです。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%96%94%E5%A6%83/
閔妃(びんひ) (1851―95)
李氏(りし)朝鮮第26代高宗の妃。
1866年に王妃に 『冊封』 された。
>>『冊封』された、と書いてあります、しかし、ウィキには、その記述は無い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83
>>さて、面倒なので、自分の思い。
日清戦争で清から解放されるまでは、当然、宗主国の血筋で有る事は、有利に働いた筈です。
族譜なり、由来を記述した、書なり、紙なり、言い伝えなり、有った、と思うのが普通だと思うのだが、しかし。
現代に、その記述なり、言い伝えなりは残っていない、何故か?
当たり前です、この大清皇帝功徳碑も二度に渡って埋められ、葬り去られようとしたのです、このデッカイ石の塊が。
日本に拠って、清から解放された、朝鮮は、在りとあらゆる、旧宗主国の残渣を葬りました、多分、言い伝えさえも。
そして、族譜は書き換えられた。
朝鮮人自身が、己の歴史、朝鮮の歴史を軽蔑し、不信を決め、なんら振り返らなかったそうです、ですから、朝鮮史の研究は、日本人学者が行ったそうです。
ま、しかし、歴史とは、朝鮮人に取って、自分を苦しめる以外の、何ものでもない、哀れなる、チョンピル、老後の、歴史探索の楽しみを知らず、ただ、苦悩する、ノミ。
屈辱の象徴「三田渡碑」、本来の場所へ
石碑の本来の名前は、「三田渡清太宗功徳碑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B8%85%E7%9A%87%E5%B8%9D%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E7%A2%91
碑の名称は以下である。
中国語: Daqing Huangdi Gongde Bei(大清皇帝功紱碑)
満州語: Daicing gurun i Enduringge Han i gung erdemui bei
モンゴル語: Dayičing ulus-un Boɣda Qaɣan-u erdem bilig-i daɣurisɣaɣsan bei
>>嘘つき朝鮮人と正直日本人の違い、石碑の本来の名前は。
『三田渡清太宗功徳碑』
『大清皇帝功徳碑』
ま、チョンピルに正直など、求めるのは、無駄、無益の、極致。
処で、この『大清皇帝功徳碑』に書いてある、この部分。
「和議の内容」
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
>>これ、宗主国と属国の関係で言えば、朝鮮の両班に清国、満州系の嫁なり婿を迎えるということではないでしょうか。
此れは、江戸時代の、徳川宗家と各大名との関係に類似するのではないか。
だとしたら、両班の多くが、清国系といえないだろうか?
元に、閔妃は清国系と朝鮮駐在の、日本政府高官が聞いて、驚いたそうです。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%96%94%E5%A6%83/
閔妃(びんひ) (1851―95)
李氏(りし)朝鮮第26代高宗の妃。
1866年に王妃に 『冊封』 された。
>>『冊封』された、と書いてあります、しかし、ウィキには、その記述は無い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83
>>さて、面倒なので、自分の思い。
日清戦争で清から解放されるまでは、当然、宗主国の血筋で有る事は、有利に働いた筈です。
族譜なり、由来を記述した、書なり、紙なり、言い伝えなり、有った、と思うのが普通だと思うのだが、しかし。
現代に、その記述なり、言い伝えなりは残っていない、何故か?
当たり前です、この大清皇帝功徳碑も二度に渡って埋められ、葬り去られようとしたのです、このデッカイ石の塊が。
日本に拠って、清から解放された、朝鮮は、在りとあらゆる、旧宗主国の残渣を葬りました、多分、言い伝えさえも。
そして、族譜は書き換えられた。
朝鮮人自身が、己の歴史、朝鮮の歴史を軽蔑し、不信を決め、なんら振り返らなかったそうです、ですから、朝鮮史の研究は、日本人学者が行ったそうです。
ま、しかし、歴史とは、朝鮮人に取って、自分を苦しめる以外の、何ものでもない、哀れなる、チョンピル、老後の、歴史探索の楽しみを知らず、ただ、苦悩する、ノミ。
これは メッセージ 165222 (ooosolemiiyo さん)への返信です.
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