犬食いは韓民族だけと勘違いしてる倭猿よ。
投稿者: i_am_not_ill 投稿日時: 2010/04/06 20:36 投稿番号: [164474 / 230347]
日本における犬食について簡潔にまとめているサイトを発見した。
http://eux.sakura.ne.jp/chien/3.html
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日本における犬肉食
歴史
676年(天武天皇4年) 4月17日に我が国で肉食禁止令の詔が初めて下った.その詔は,(中略)
この詔は,犬だけでなく牛,馬,猿,鶏の五畜の肉食を禁じているが,その理由は「犬は夜吠えて番犬の役に立ち,鶏は暁を告げて人々を起こし,牛は田畑を耕すのに疲れ,馬は人を乗せて旅や戦いに働き,猿は人に類似しているので食べてはならない」という『涅槃経』の教えによったものらしい.とはいえ,その肉食禁止は恒久的なものでなく,期間が4月1日から9月30日までの農繁期に限定されている.裏を返せば農閑期は肉食を行ってもまったく問題がなく,また農繁期であっても五畜以外の動物の肉は食べてもよいということである.すなわち,この肉食禁止令は仏教に基づく肉食禁止ではなく,農繁期における家畜の利用という功利的な視点に基づいて出されたものであろう.もっとも,当時の生活様式は稲作を基盤としていたので,御歳神の伝承などによる農耕儀礼を重視した結果としての肉食禁止と考えることも可能ではある.が,いずれにせよ,絶対的に肉食が禁忌として見なされていたとはいえないことは確かである.それは,その後も肉食禁止令が繰り返し出されたにもかかわらず,いずれも一時的なものであり,肉食の禁止が徹底しなかったことでも推察される.
(中略)
とあり,服忌を70日間の長期に設定している.このことからも,犬を含めた肉食を一定の禁忌としているようであるが,裏を返せば服忌期間を過ぎれば神社に参詣してもよいことになり,また日常生活での肉食については触れられていない.この外にも数多くの服忌令が出されており,肉食が穢れであるとの思想は完全には定着しなかった可能性が高い.
16世紀末に日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは日本の犬を含めた肉食習慣について「日本人は野犬や鶴,大猿,猫,生の海草などを食べる」と著し,肉食が日常化していたことを物語っている.また特に犬肉食については「われわれは犬は食べないで,牛を食べる.彼らは牛を食べず,家庭薬として見事に犬を食べる」と論及しており,当時の日本人は精力を付けるための薬食いとして犬を食べていたようだ.
犬食がどの程度行われ,またいかなる地域で行われていたかは詳らかではないが,ほぼ全国的に行われていたと思われる.
(中略)
江戸時代では,犬肉は主に薬食いとして冬に保温・滋養のために食されていた.それも特殊な機会に食されるものではなく,ごく一般的日常的に,また身分の上下を問わず食されていことは
(中略)
と記されている大道寺友山の『落穂集』にも明らかである.すなわち「犬が居たとすれば,『これ以上のうまい物はない』と人々に考へられ,直ぐに食はれてしまふ」ような状況であったのである.また,小塚原や鈴ヶ森などの刑場にいた人足は常食にもしていたという.
しかし,明治以降は太平洋戦争後の食糧難の一時期をのぞいて,記録はほとんど見あたらない.それ以降犬を食べる風習が残っている地域は,独自の文化を保ち続けた沖縄しか見あたらず,それも常食にはしていない.
犬料理についてはアイヌ料理では犬は熊と同様にたたきにし,鹿児島ではかつて「エノコロめし」という犬飯があったといわれている.また,地方は特定されていないが,映画『気違い部落』の中に犬肉を調理する場面があり,ここでは鍋に砂糖と臭い消しのための焼酎を入れて煮て,醤油をつけて食べるという方法を用いている.
さらに,沖縄の宮古島にも犬を食する習慣がある.ここでの調理法は犬汁である.灰汁が多いのでこまめに灰汁とりをし,弱火で煮る.味噌で味付けをして,蓬をいれて食べる.ここで特徴的なのは宮古の犬汁の調理方法が,朝鮮の「ケジャンクツヌルミ(狗肉の汁)」の醤油を汁のベースにしている調理方法と異なり,支那の広州料理の「折骨生燉狗」の味噌を使用した調理方法と類似していることである.これは,沖縄,かつての琉球王国が古くから支那に朝貢して文化交流があったことに由来すると見てよいだろう.犬汁を食べる時期も,ふさ病(風土病であるフィラリア),内臓疾患などの万病の薬としての薬食いの他に,一般人は寒い季節に滋養食として食べるなど,冬に犬を食べる支那と同じであることからもこのことは裏付けられると考える.
犬料理においても日本本土とは違った独自の文化を伝えるアイヌと沖縄にその色合いが残っているといってよいだろう.
http://eux.sakura.ne.jp/chien/3.html
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日本における犬肉食
歴史
676年(天武天皇4年) 4月17日に我が国で肉食禁止令の詔が初めて下った.その詔は,(中略)
この詔は,犬だけでなく牛,馬,猿,鶏の五畜の肉食を禁じているが,その理由は「犬は夜吠えて番犬の役に立ち,鶏は暁を告げて人々を起こし,牛は田畑を耕すのに疲れ,馬は人を乗せて旅や戦いに働き,猿は人に類似しているので食べてはならない」という『涅槃経』の教えによったものらしい.とはいえ,その肉食禁止は恒久的なものでなく,期間が4月1日から9月30日までの農繁期に限定されている.裏を返せば農閑期は肉食を行ってもまったく問題がなく,また農繁期であっても五畜以外の動物の肉は食べてもよいということである.すなわち,この肉食禁止令は仏教に基づく肉食禁止ではなく,農繁期における家畜の利用という功利的な視点に基づいて出されたものであろう.もっとも,当時の生活様式は稲作を基盤としていたので,御歳神の伝承などによる農耕儀礼を重視した結果としての肉食禁止と考えることも可能ではある.が,いずれにせよ,絶対的に肉食が禁忌として見なされていたとはいえないことは確かである.それは,その後も肉食禁止令が繰り返し出されたにもかかわらず,いずれも一時的なものであり,肉食の禁止が徹底しなかったことでも推察される.
(中略)
とあり,服忌を70日間の長期に設定している.このことからも,犬を含めた肉食を一定の禁忌としているようであるが,裏を返せば服忌期間を過ぎれば神社に参詣してもよいことになり,また日常生活での肉食については触れられていない.この外にも数多くの服忌令が出されており,肉食が穢れであるとの思想は完全には定着しなかった可能性が高い.
16世紀末に日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは日本の犬を含めた肉食習慣について「日本人は野犬や鶴,大猿,猫,生の海草などを食べる」と著し,肉食が日常化していたことを物語っている.また特に犬肉食については「われわれは犬は食べないで,牛を食べる.彼らは牛を食べず,家庭薬として見事に犬を食べる」と論及しており,当時の日本人は精力を付けるための薬食いとして犬を食べていたようだ.
犬食がどの程度行われ,またいかなる地域で行われていたかは詳らかではないが,ほぼ全国的に行われていたと思われる.
(中略)
江戸時代では,犬肉は主に薬食いとして冬に保温・滋養のために食されていた.それも特殊な機会に食されるものではなく,ごく一般的日常的に,また身分の上下を問わず食されていことは
(中略)
と記されている大道寺友山の『落穂集』にも明らかである.すなわち「犬が居たとすれば,『これ以上のうまい物はない』と人々に考へられ,直ぐに食はれてしまふ」ような状況であったのである.また,小塚原や鈴ヶ森などの刑場にいた人足は常食にもしていたという.
しかし,明治以降は太平洋戦争後の食糧難の一時期をのぞいて,記録はほとんど見あたらない.それ以降犬を食べる風習が残っている地域は,独自の文化を保ち続けた沖縄しか見あたらず,それも常食にはしていない.
犬料理についてはアイヌ料理では犬は熊と同様にたたきにし,鹿児島ではかつて「エノコロめし」という犬飯があったといわれている.また,地方は特定されていないが,映画『気違い部落』の中に犬肉を調理する場面があり,ここでは鍋に砂糖と臭い消しのための焼酎を入れて煮て,醤油をつけて食べるという方法を用いている.
さらに,沖縄の宮古島にも犬を食する習慣がある.ここでの調理法は犬汁である.灰汁が多いのでこまめに灰汁とりをし,弱火で煮る.味噌で味付けをして,蓬をいれて食べる.ここで特徴的なのは宮古の犬汁の調理方法が,朝鮮の「ケジャンクツヌルミ(狗肉の汁)」の醤油を汁のベースにしている調理方法と異なり,支那の広州料理の「折骨生燉狗」の味噌を使用した調理方法と類似していることである.これは,沖縄,かつての琉球王国が古くから支那に朝貢して文化交流があったことに由来すると見てよいだろう.犬汁を食べる時期も,ふさ病(風土病であるフィラリア),内臓疾患などの万病の薬としての薬食いの他に,一般人は寒い季節に滋養食として食べるなど,冬に犬を食べる支那と同じであることからもこのことは裏付けられると考える.
犬料理においても日本本土とは違った独自の文化を伝えるアイヌと沖縄にその色合いが残っているといってよいだろう.
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