小沢氏 韓国起源説を語る in コレコレア
投稿者: ooosolemiiyo 投稿日時: 2010/04/04 07:19 投稿番号: [164375 / 230347]
>>馬鹿な日本の女評論家は、日本の男も、同じ事を遣ってきたと、主張すると思うが、お前らは、自分が馬鹿で有る事を確りと認識しろ。
http://www7.plala.or.jp/juraian/antikor.htm
開化以前の女性の地位
日本女性の地位は東洋では最も高かった
C・P・ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫,1994. [初出=1778-93年]
日本は一夫一婦制である。また中国のように夫人を家に閉じ込めておくようなことはなく、男性と同席したり自由に外出することができるので、路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった。(p. 82)
土屋喬夫・玉城肇訳『ペルリ提督日本遠征記』岩波文庫,1948. [初出=1856年]
日本の社會には、他の東洋諸國民に勝る日本人民の美點を明かに示している一特質がある。
それは女が伴侶と認められていて、單なる奴隷として待遇されてはいないことである。
女の地位が、キリスト教法規の影響下にある諸國に於けると同様な高さではないことは確だが、日本の母、妻及び娘は、支那の女のように家畜でも家内奴隷でもなく、トルコの妾房[ハーレム]に於ける女のように浮氣な淫樂のために買い入れられるものでもない。
一夫多妻制の存在しないと云う事實は、日本人があらゆる東洋諸國民のうちでは最も道紱的であり、洗練[リファイン]されている國民であるという勝れた特性を現わす著しい特徴である。(4巻, pp. 16-17)
カッテンディーケ(水田信利訳)『長崎海軍伝習所の日々』平凡社東洋文庫,1964. [初出=1860年]
日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。
もっとも婦人は、ヨーロッパの夫人のように、余りでしゃばらない。そうして男よりも一段へり下った立場に甘んじ、夫婦連れの時でさえ、我々がヨーロッパで見馴れているような、あの調子で振る舞うようなことは決してない。
そうだといって、決して婦人は軽蔑されているのではない。(p. 47)
ハインリッヒ・シュリーマン(石井和子訳)『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫,1998. [初出=1869年]
他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。
だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。
ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。
そのありさまを目のあたりにして――それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた――長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ。(p. 140)
グリフィス(山下英一訳)『明治日本体験記』平凡社東洋文庫,1984. [初出=1876年]
しかし、アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。
ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。(pp. 264-265)
http://www7.plala.or.jp/juraian/antikor.htm
開化以前の女性の地位
日本女性の地位は東洋では最も高かった
C・P・ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫,1994. [初出=1778-93年]
日本は一夫一婦制である。また中国のように夫人を家に閉じ込めておくようなことはなく、男性と同席したり自由に外出することができるので、路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった。(p. 82)
土屋喬夫・玉城肇訳『ペルリ提督日本遠征記』岩波文庫,1948. [初出=1856年]
日本の社會には、他の東洋諸國民に勝る日本人民の美點を明かに示している一特質がある。
それは女が伴侶と認められていて、單なる奴隷として待遇されてはいないことである。
女の地位が、キリスト教法規の影響下にある諸國に於けると同様な高さではないことは確だが、日本の母、妻及び娘は、支那の女のように家畜でも家内奴隷でもなく、トルコの妾房[ハーレム]に於ける女のように浮氣な淫樂のために買い入れられるものでもない。
一夫多妻制の存在しないと云う事實は、日本人があらゆる東洋諸國民のうちでは最も道紱的であり、洗練[リファイン]されている國民であるという勝れた特性を現わす著しい特徴である。(4巻, pp. 16-17)
カッテンディーケ(水田信利訳)『長崎海軍伝習所の日々』平凡社東洋文庫,1964. [初出=1860年]
日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。
もっとも婦人は、ヨーロッパの夫人のように、余りでしゃばらない。そうして男よりも一段へり下った立場に甘んじ、夫婦連れの時でさえ、我々がヨーロッパで見馴れているような、あの調子で振る舞うようなことは決してない。
そうだといって、決して婦人は軽蔑されているのではない。(p. 47)
ハインリッヒ・シュリーマン(石井和子訳)『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫,1998. [初出=1869年]
他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。
だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。
ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。
そのありさまを目のあたりにして――それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた――長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ。(p. 140)
グリフィス(山下英一訳)『明治日本体験記』平凡社東洋文庫,1984. [初出=1876年]
しかし、アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。
ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。(pp. 264-265)
これは メッセージ 164371 (ooosolemiiyo さん)への返信です.
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