Re: 竹島を韓国の平和維持軍が支配???
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/02/04 09:47 投稿番号: [16434 / 230347]
ウリナラのあまりに優秀な民族であることに嫉妬し、憧れた日本人が、アラシとなってデタラメを掲示板に書き込んでいる。
そのような日本人に正しい歴史と国際常識を身に付けさす為に、私は掲示板に書き込んでいるのである。 日本人どもよ、私の真実の言葉に従いなさい。私の書き込みは、教科書にも記載されている事実。
今日は、君たちには難しいかもしれないが、独島の領有権についてについて説明しよう。
○ ー ○ ──────────────
(^ ♀ ^) 日本側研究者のなかにも、「独島」問題に、
/ \ 「国益優先」ではなく、冷静に対処すべきだとの
O ⌒ヽO 少なからざる人々がいる。歴史認識を正しく保つ
| x | 問題は、普遍的意義を有する問題である。
≪檀君≫
古来、鬱陵島の属島とされているこの島について、日本は不当にも島根県に編入させたことがあるが、日本との間にいわゆる「領有権問題」が起こったのは解放(日本敗戦)後のことである。 第2次大戦の終結によって日本全土と朝鮮南半部は米国を主力とする連合国の占領下に置かれたが、連合国総司令部は1946年1月29日付で日本政府に対して覚書を発し、日本の行政領域の範囲を定めた。この時、朝鮮関連の島としては鬱陵島、独島、済州島などが日本の行政権外とされた。つまり、この時点で連合国総司令部は独島に日本の行政権は及ばない、としたのである。
そのうえ同年6月、米国は日本漁船の活動可能領域を定めた「マッカーサ・ライン」を設定したが、この時も独島は日本の操業区域外に置かれた。この「マッカーサ・ライン」は1952年4月25日に廃止されるが、その3ヵ月前にこのラインを引きついだ形のいわゆる「李承晩ライン」(韓国による漁船立入禁止線)が設定される。
そして同年4月28日、対日講和条約たるサンフランシスコ条約が発効するが、この条約の「第2章 領域」の項の第2条(a)は「日本国は、朝鮮の独島を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」となっていた。ここには独島の名は入っていない。
これにより日本は、独島に触れなかったのは、1910年の「韓国併合条約」以前の1905年に独島が島根県に編入されて、日本が領有した島だからだとして、日本の独島領有権をより強硬に主張しはじめるのである。
ところで米国は、早くから独島を空軍爆撃演習地に指定し、爆撃を実施していたが、1948年6月には米軍機の爆撃演習によって独島で漁業に従事していた南側漁民16人の死亡及び行方不明者と重軽傷者6人を出すという事件が起きた。この事件に発足間もない李承晩政権は抗議し、米第5空軍は陳謝した。これは事実上、独島の南当局の領有権を認めたものといえよう。
1952年春、米国は李承晩政権に独島を爆撃演習地から除外したと通告し、その後、日米合同委員会で独島を爆撃演習地から除外したと通告している。 独島の領有権をめぐっては、同島に関する問題が起きるたびに日本当局と南側当局との間に、抗議、口上書などが幾度か発せられるが、一方、米国の独島政策を仔細にみるに、植民地統治の神髄たる分割統治方式の具現のように思われる。
そしてここで指摘しなければならない問題は、1965年のいわゆる「韓日条約」妥結の折、両全権間の交換公文によって、独島をめぐる紛争は外交的に「両国政府が合意する手続きに従い調停によって解決を図る」とされ、いわば棚上げにされて問題が先送りされたことである。
土地や食糧はおろか、言葉や名前・文化まで奪われ、神社参拝を強制され、強制徴用・強制連行により過酷な労働を強いられ、あげくの果ては「従軍慰安婦」や「軍夫」として戦場に駆り出され、敗戦と共に戦場や日本本土に遺骨までうち捨てられた過酷な植民地支配の歴史を、美化・賛美するような日本の「歴史歪曲教科書」を韓国民衆が許せるはずはありません。
「竹島の日」制定、「歪曲歴史教科書」の登場が、さらに人々を日本政府への抗議に駆り立てるのは当然のことです。焼身自殺をはかったり、指を切断して抗議するまでに激しい韓国民衆の怒りを、君たちは真剣に受け止めないわけにはいきません。
そのような日本人に正しい歴史と国際常識を身に付けさす為に、私は掲示板に書き込んでいるのである。 日本人どもよ、私の真実の言葉に従いなさい。私の書き込みは、教科書にも記載されている事実。
今日は、君たちには難しいかもしれないが、独島の領有権についてについて説明しよう。
○ ー ○ ──────────────
(^ ♀ ^) 日本側研究者のなかにも、「独島」問題に、
/ \ 「国益優先」ではなく、冷静に対処すべきだとの
O ⌒ヽO 少なからざる人々がいる。歴史認識を正しく保つ
| x | 問題は、普遍的意義を有する問題である。
≪檀君≫
古来、鬱陵島の属島とされているこの島について、日本は不当にも島根県に編入させたことがあるが、日本との間にいわゆる「領有権問題」が起こったのは解放(日本敗戦)後のことである。 第2次大戦の終結によって日本全土と朝鮮南半部は米国を主力とする連合国の占領下に置かれたが、連合国総司令部は1946年1月29日付で日本政府に対して覚書を発し、日本の行政領域の範囲を定めた。この時、朝鮮関連の島としては鬱陵島、独島、済州島などが日本の行政権外とされた。つまり、この時点で連合国総司令部は独島に日本の行政権は及ばない、としたのである。
そのうえ同年6月、米国は日本漁船の活動可能領域を定めた「マッカーサ・ライン」を設定したが、この時も独島は日本の操業区域外に置かれた。この「マッカーサ・ライン」は1952年4月25日に廃止されるが、その3ヵ月前にこのラインを引きついだ形のいわゆる「李承晩ライン」(韓国による漁船立入禁止線)が設定される。
そして同年4月28日、対日講和条約たるサンフランシスコ条約が発効するが、この条約の「第2章 領域」の項の第2条(a)は「日本国は、朝鮮の独島を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」となっていた。ここには独島の名は入っていない。
これにより日本は、独島に触れなかったのは、1910年の「韓国併合条約」以前の1905年に独島が島根県に編入されて、日本が領有した島だからだとして、日本の独島領有権をより強硬に主張しはじめるのである。
ところで米国は、早くから独島を空軍爆撃演習地に指定し、爆撃を実施していたが、1948年6月には米軍機の爆撃演習によって独島で漁業に従事していた南側漁民16人の死亡及び行方不明者と重軽傷者6人を出すという事件が起きた。この事件に発足間もない李承晩政権は抗議し、米第5空軍は陳謝した。これは事実上、独島の南当局の領有権を認めたものといえよう。
1952年春、米国は李承晩政権に独島を爆撃演習地から除外したと通告し、その後、日米合同委員会で独島を爆撃演習地から除外したと通告している。 独島の領有権をめぐっては、同島に関する問題が起きるたびに日本当局と南側当局との間に、抗議、口上書などが幾度か発せられるが、一方、米国の独島政策を仔細にみるに、植民地統治の神髄たる分割統治方式の具現のように思われる。
そしてここで指摘しなければならない問題は、1965年のいわゆる「韓日条約」妥結の折、両全権間の交換公文によって、独島をめぐる紛争は外交的に「両国政府が合意する手続きに従い調停によって解決を図る」とされ、いわば棚上げにされて問題が先送りされたことである。
土地や食糧はおろか、言葉や名前・文化まで奪われ、神社参拝を強制され、強制徴用・強制連行により過酷な労働を強いられ、あげくの果ては「従軍慰安婦」や「軍夫」として戦場に駆り出され、敗戦と共に戦場や日本本土に遺骨までうち捨てられた過酷な植民地支配の歴史を、美化・賛美するような日本の「歴史歪曲教科書」を韓国民衆が許せるはずはありません。
「竹島の日」制定、「歪曲歴史教科書」の登場が、さらに人々を日本政府への抗議に駆り立てるのは当然のことです。焼身自殺をはかったり、指を切断して抗議するまでに激しい韓国民衆の怒りを、君たちは真剣に受け止めないわけにはいきません。
これは メッセージ 16431 (hamida0471 さん)への返信です.
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