Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/31 19:03 投稿番号: [157399 / 230347]
>既に、なんでも反対の共産党や北朝鮮式論法になってるから、ゆっくり
お休み。
論を張れる状態まで回復したら、再度登場すればよい。(爆)
嗚呼、良かった!やっと遁走してくれたか(笑)
皆様御存知の様に、トピックさんは決着がついてからが長い。
負けずギライも結構ですが、どう好意的に見ても支離滅裂になった
挙句の果てに、自説まで曲げてあらぬ方向に行っちゃあ…。
少なくとも、私はトピックさんと違って漢文が読めるんだってば(笑)
あ、そうだ。もう披露する機会がなかろうから、個人的な『三韓』に
関する考察を述べておきましょう。
今まで私は『韓』とは朝鮮の美称であると思っていたが、中国の史書を
改めて読んでみると、中原に「史上初の統一帝国秦によって滅ぼされた、
戦国七カ国の一つ『韓』出身の流民が半島に流れ着いた」という伝承
(万里の長城の労役や辺境警備に送られ、そこから逃げた等)があった
事が浮かび上がってくる。もしくは秦による国家統一の最初の犠牲者で
あった中原の“韓”国を、弱小国の代名詞として使ったのか?いずれに
しろそのネーミングは、雑多な部族の集合体に対して使われた点から、
良い意味であったとは考えにくい。
という事は、現在の韓国の皆さんが愛してやまない『韓』の一字も、実は
単なる伝説に依拠する“借り物”という可能性もある。お気の毒ですが。
さて紀元前二世紀〜四世紀に存在した、馬韓・辰韓・弁韓の三系統の
小国家群を指す『三韓』であるが、これらの名称は「漢の四郡」から
十二支(正確には十二生肖というか「干支」)で表現した方角(辰…東南、
馬→午…南、そして弁は「かんむり」か「はなびら」の意で、前記二者の
先にある事を指す)が元ではないのか?或いは古代朝鮮半島史の研究者の
間では常識なのかもしれないが、韓の上に冠せられる『馬・辰・弁』が、
それぞれのグループにおける何らかの文化的特徴を指すとは、逆に思え
ない。
では日本の前身である“倭”が馬韓・弁韓と地続きである可能性は、
果たしてどのくらいあろうか?この時代は、中原を除けばいずれの
勢力も「国」と呼ぶのがためらわれる規模であるのが実情。従って
倭が朝鮮半島に内包される可能性もなくはない。しかし、ならば朝鮮
半島の南部に以上の勢力が密集していてはいかにも手狭で、一方
『後漢書倭人伝』にある「倭は韓の東南、大海中の山島に拠って暮らす
(倭在韓東南大海中、依山島為居)」という記述を、積極的に無視せねば
ならない理由も特にない。後進地域ゆえの技術的問題・部族間での抗争
が頻発していれば、食糧生産量も地域人口の腹を満たすどころか、
人口が増加する域には達しない。
第一何故『三韓』に対し別扱いとなっているのか?馬韓か弁韓に統合して
も中国人的には構わないではないか??手前味噌かもしれないが、どうせ
方角らしきもので大雑把に分けられている程度なのに?つまり、『三韓』と
『倭』の間には、分けねばならない地理的な断絶が存在するのである。
それすなわち海である。従って、誰の目にもその方が自然ではあるが(笑)、
倭は日本列島に、最初から存在したのである。
とまぁ、トピックさんと遊びながら、こんな仮説を立ててみました。
実はね、最初から面倒で面倒で(大笑)
今度同様のテーマで絡んでくる時は、まず「物的証拠」である出土品を
用意してからにしてね(猛爆)
今回分かった事。
朝鮮半島と日本の間には、ありがたい事に“海”というステキな天からの
贈り物がある事、かな(笑)
お休み。
論を張れる状態まで回復したら、再度登場すればよい。(爆)
嗚呼、良かった!やっと遁走してくれたか(笑)
皆様御存知の様に、トピックさんは決着がついてからが長い。
負けずギライも結構ですが、どう好意的に見ても支離滅裂になった
挙句の果てに、自説まで曲げてあらぬ方向に行っちゃあ…。
少なくとも、私はトピックさんと違って漢文が読めるんだってば(笑)
あ、そうだ。もう披露する機会がなかろうから、個人的な『三韓』に
関する考察を述べておきましょう。
今まで私は『韓』とは朝鮮の美称であると思っていたが、中国の史書を
改めて読んでみると、中原に「史上初の統一帝国秦によって滅ぼされた、
戦国七カ国の一つ『韓』出身の流民が半島に流れ着いた」という伝承
(万里の長城の労役や辺境警備に送られ、そこから逃げた等)があった
事が浮かび上がってくる。もしくは秦による国家統一の最初の犠牲者で
あった中原の“韓”国を、弱小国の代名詞として使ったのか?いずれに
しろそのネーミングは、雑多な部族の集合体に対して使われた点から、
良い意味であったとは考えにくい。
という事は、現在の韓国の皆さんが愛してやまない『韓』の一字も、実は
単なる伝説に依拠する“借り物”という可能性もある。お気の毒ですが。
さて紀元前二世紀〜四世紀に存在した、馬韓・辰韓・弁韓の三系統の
小国家群を指す『三韓』であるが、これらの名称は「漢の四郡」から
十二支(正確には十二生肖というか「干支」)で表現した方角(辰…東南、
馬→午…南、そして弁は「かんむり」か「はなびら」の意で、前記二者の
先にある事を指す)が元ではないのか?或いは古代朝鮮半島史の研究者の
間では常識なのかもしれないが、韓の上に冠せられる『馬・辰・弁』が、
それぞれのグループにおける何らかの文化的特徴を指すとは、逆に思え
ない。
では日本の前身である“倭”が馬韓・弁韓と地続きである可能性は、
果たしてどのくらいあろうか?この時代は、中原を除けばいずれの
勢力も「国」と呼ぶのがためらわれる規模であるのが実情。従って
倭が朝鮮半島に内包される可能性もなくはない。しかし、ならば朝鮮
半島の南部に以上の勢力が密集していてはいかにも手狭で、一方
『後漢書倭人伝』にある「倭は韓の東南、大海中の山島に拠って暮らす
(倭在韓東南大海中、依山島為居)」という記述を、積極的に無視せねば
ならない理由も特にない。後進地域ゆえの技術的問題・部族間での抗争
が頻発していれば、食糧生産量も地域人口の腹を満たすどころか、
人口が増加する域には達しない。
第一何故『三韓』に対し別扱いとなっているのか?馬韓か弁韓に統合して
も中国人的には構わないではないか??手前味噌かもしれないが、どうせ
方角らしきもので大雑把に分けられている程度なのに?つまり、『三韓』と
『倭』の間には、分けねばならない地理的な断絶が存在するのである。
それすなわち海である。従って、誰の目にもその方が自然ではあるが(笑)、
倭は日本列島に、最初から存在したのである。
とまぁ、トピックさんと遊びながら、こんな仮説を立ててみました。
実はね、最初から面倒で面倒で(大笑)
今度同様のテーマで絡んでくる時は、まず「物的証拠」である出土品を
用意してからにしてね(猛爆)
今回分かった事。
朝鮮半島と日本の間には、ありがたい事に“海”というステキな天からの
贈り物がある事、かな(笑)
これは メッセージ 157367 (topics_jk さん)への返信です.
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