Re: 前方後円墳
投稿者: run_run72 投稿日時: 2009/10/27 23:22 投稿番号: [157226 / 230347]
>>図の奥の方に隠れている方形部分が無いとはいえんが。だが、お前の言い分が成り立つのは応神天皇だけで、
>鳥居がある方が正面だ。即ち参拝殿のある方ね。
そうだね。可能性のハナシをしただけだが、
方形部分が確かに前方だった。
WIKIによると、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の
前方部分の一部が1500年代後半に地震によって崩れた・・・
らしいぜ。
その後300年をへた後、前方部がすっかりなくなっていても
何のフシギもないな。合理的な説明がついてるようだ。
WIKIの記述
『なお、前方部の一部が崩れているのは1500年代後半にこの地で直下型の大地震があったためと考えられており、前方部の崩落部分のほぼ真下を活断層が走っている。』
>お前は仁徳天皇陵を見たんだろう?(猛爆)
見たよ。だが遠目に、と言ったはずだ。
仁徳天皇陵は広大でね、近くにいったぐらいでは全景は見れやしない。
上空から見るか、高いビルに上らないとね。
全景は見てないよ。
ところで、おまえが拾ってきた
ttp://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/55_kohun.html
の、応神天皇陵の真下、
仁徳天皇陵の絵図、項目4の絵図ね、
4.仁徳天皇陵(大山古墳)第16代
大阪府堺市
反正天皇陵(田出井山古墳)第18代
大阪府堺市
「和泉名所図会」巻1 378-14ほか
秋里籬島(湘夕)著
竹原信繁(春朝斎)画
浪華 高橋平助
和泉名所図会、寛政八年 1796年刊なんだそうだが、
キミの引っ張ってきたサイトよりデカイ図がある。
少々重いが、
ttp://izuminokuni.town-web.net/modules/meishozue_01/index.php?content_id=16
仁徳天皇陵は前方後円墳になっているよな。
前方の方違神社っていうのは、今もあるが、
相当距離が離れているよ。
つまり18世紀末に、巨大な前方後円墳で、仁徳天皇陵と
伝承されていた古墳があることになるね(猛爆)
いわく、
『仁紱(にんとく)天皇陵 大山陵(だいせんれう)とも云
反(はん)正(しやう)天皇陵 楯井(たてゐの)陵(みさゝき)とも云
方(かた)違(たがひの)社(やしろ)
三(み)國(くにの)辻(つじ)
舳松(へのまつ)領(りやう)にあり。大山(だいせん)陵(りやう)と号す。封域(ほういく)、今、存(そん)する所、外堤千二百八十三間、中堤九百五十五間、山ノ根(ね)廻(まはり)七百六十三間、南ノ峯(みね)高サ十四間、北(きた)ノ峯(みね)十六間四尺。四畔(はん)に小塚九箇所あり。』
>近代の天皇陵墓が否定しているだろうが?
>方墳の上に円墳若しくは八角墳が乗っかっている形式は不変と思うぞ。
>丘陵に埋葬するわけだから、陵墓の全体像で見れば、前方後円墳もどきの地形もあると言うだけの話。
願望じゃん。
前方後円墳の形式は、
天智天皇陵(7世紀後半だろうね)や、天武・持統天皇陵のできる前のはなしだろうが。
被葬者がハッキリ(おそらく間違いなかろう)している初めての
天皇が天智天皇だからといって、それ以前も、天智天皇の陵墓と
方式が同じじゃなくちゃならん、つう論理は極めてランボーというか
ただの無茶苦茶。
>平地に墓を造って、其の上に盛り土を被せて前方後円墳を造るような無駄なことはしない。(猛爆)
>丘陵に埋葬するわけだから、陵墓の全体像で見れば、前方後円墳もどきの地形もあると言うだけの話。
いい加減なことを(猛爆)
仁徳天皇陵あたりは、真っ平らだがねwwww
丘陵に埋葬するわけではなく、
盛り土をして丘を造るわけだろwwwww
大規模古墳の多い地域は、むしろ比較的平らな土地が多い気がするね。
だいたい、
起伏のある土地に、幾何学的な形の陵墓を作ることの方がやりにくい。
丘陵地であっても、平坦な土地を選ぶのじゃないかね。
丘陵に埋葬するわけではなく、埋葬した丘陵が丘に見える。それだけのこと。少なくとも前方後円墳についてはね。
>因みに、大正天皇陵は、前方後円墳に見えるらしい。(猛爆)
だから?
いずれにせよ、全国的に多数ある前方後円墳を
ないことにするのは、無理だって(猛爆)
>鳥居がある方が正面だ。即ち参拝殿のある方ね。
そうだね。可能性のハナシをしただけだが、
方形部分が確かに前方だった。
WIKIによると、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の
前方部分の一部が1500年代後半に地震によって崩れた・・・
らしいぜ。
その後300年をへた後、前方部がすっかりなくなっていても
何のフシギもないな。合理的な説明がついてるようだ。
WIKIの記述
『なお、前方部の一部が崩れているのは1500年代後半にこの地で直下型の大地震があったためと考えられており、前方部の崩落部分のほぼ真下を活断層が走っている。』
>お前は仁徳天皇陵を見たんだろう?(猛爆)
見たよ。だが遠目に、と言ったはずだ。
仁徳天皇陵は広大でね、近くにいったぐらいでは全景は見れやしない。
上空から見るか、高いビルに上らないとね。
全景は見てないよ。
ところで、おまえが拾ってきた
ttp://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/55_kohun.html
の、応神天皇陵の真下、
仁徳天皇陵の絵図、項目4の絵図ね、
4.仁徳天皇陵(大山古墳)第16代
大阪府堺市
反正天皇陵(田出井山古墳)第18代
大阪府堺市
「和泉名所図会」巻1 378-14ほか
秋里籬島(湘夕)著
竹原信繁(春朝斎)画
浪華 高橋平助
和泉名所図会、寛政八年 1796年刊なんだそうだが、
キミの引っ張ってきたサイトよりデカイ図がある。
少々重いが、
ttp://izuminokuni.town-web.net/modules/meishozue_01/index.php?content_id=16
仁徳天皇陵は前方後円墳になっているよな。
前方の方違神社っていうのは、今もあるが、
相当距離が離れているよ。
つまり18世紀末に、巨大な前方後円墳で、仁徳天皇陵と
伝承されていた古墳があることになるね(猛爆)
いわく、
『仁紱(にんとく)天皇陵 大山陵(だいせんれう)とも云
反(はん)正(しやう)天皇陵 楯井(たてゐの)陵(みさゝき)とも云
方(かた)違(たがひの)社(やしろ)
三(み)國(くにの)辻(つじ)
舳松(へのまつ)領(りやう)にあり。大山(だいせん)陵(りやう)と号す。封域(ほういく)、今、存(そん)する所、外堤千二百八十三間、中堤九百五十五間、山ノ根(ね)廻(まはり)七百六十三間、南ノ峯(みね)高サ十四間、北(きた)ノ峯(みね)十六間四尺。四畔(はん)に小塚九箇所あり。』
>近代の天皇陵墓が否定しているだろうが?
>方墳の上に円墳若しくは八角墳が乗っかっている形式は不変と思うぞ。
>丘陵に埋葬するわけだから、陵墓の全体像で見れば、前方後円墳もどきの地形もあると言うだけの話。
願望じゃん。
前方後円墳の形式は、
天智天皇陵(7世紀後半だろうね)や、天武・持統天皇陵のできる前のはなしだろうが。
被葬者がハッキリ(おそらく間違いなかろう)している初めての
天皇が天智天皇だからといって、それ以前も、天智天皇の陵墓と
方式が同じじゃなくちゃならん、つう論理は極めてランボーというか
ただの無茶苦茶。
>平地に墓を造って、其の上に盛り土を被せて前方後円墳を造るような無駄なことはしない。(猛爆)
>丘陵に埋葬するわけだから、陵墓の全体像で見れば、前方後円墳もどきの地形もあると言うだけの話。
いい加減なことを(猛爆)
仁徳天皇陵あたりは、真っ平らだがねwwww
丘陵に埋葬するわけではなく、
盛り土をして丘を造るわけだろwwwww
大規模古墳の多い地域は、むしろ比較的平らな土地が多い気がするね。
だいたい、
起伏のある土地に、幾何学的な形の陵墓を作ることの方がやりにくい。
丘陵地であっても、平坦な土地を選ぶのじゃないかね。
丘陵に埋葬するわけではなく、埋葬した丘陵が丘に見える。それだけのこと。少なくとも前方後円墳についてはね。
>因みに、大正天皇陵は、前方後円墳に見えるらしい。(猛爆)
だから?
いずれにせよ、全国的に多数ある前方後円墳を
ないことにするのは、無理だって(猛爆)
これは メッセージ 157034 (topics_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/157226.html