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●天皇が神様の訳がねえだろ?●

投稿者: japanpoors 投稿日時: 2009/10/08 15:14 投稿番号: [156180 / 230347]
倭国と百済の外交関係は、高句麗・新羅に比べて友好的であった。百済の中期には、高句麗の軍事的圧力に対抗するために和通したと記録されている、『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。(新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來)という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■新羅を破り以って臣民と為す(「倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっており主従関係が存在しており、倭の重臣と百済との間で家臣上下に関わる席順の取り合いのエピソードも残されている[要出典]。これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが、友好的であったのは確かであろう。 また王族については、百済の王族は倭によってその婚姻が決められており中国ーツングース系と倭人との混血が繰り返された。基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱った。

『日本書紀』には百済の歴史書が多く引用され(『百済記』『百済新撰』などが引用されているが遺失した歴史書である)、百済から輸入された文物は多い。有名な文化財には、軍事的援助の礼として倭に送られた奈良県の石上神宮に伝わる七支刀がある。

百済滅亡により、百済王と王族・貴族を含む数千の百済人が倭国に亡命し一部が朝廷に仕えた。豊璋の弟・善光(または禅広)の子孫は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜った。百済王氏は8世紀に敬福(きょうふく)が黄金を発見し東大寺大仏造立に貢献するなど日本の貴族として活躍した。また兵庫県神戸市には扶余系にちなんで唐柩の地名が残る。
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