Re: 竹島
投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2006/01/07 15:43 投稿番号: [15439 / 230347]
>竹島が日本領であるという法的根拠はなんなんだろう?
●江戸時代の地図
1724年の日本の地図に正確に竹島が記入されている
1779年の地図にも正確に記入されている
1837年の地図にはさらに正確に記入されている
(江戸時代の地図で竹島が記入されているものは50種類以上ある)
一方、李氏朝鮮時代の地図に竹島を自国領土内に記入しているものは皆無
よく「三国史記」「新羅本紀」「東国嶼地勝覧」などを持ち出して、「512年より竹島は既に新羅領だった」などと主張している人がいるが、それは現在問題になっている竹島ではなく、鬱陵島、ないしは鬱陵島に近接している属島の石島(観音島)、于山島(竹島)のこと
大韓帝国時代の「大韓地誌」(1899年刊行)でも、問題の竹島は大韓帝国領土外となっている
●島根県への編入
1905年1月28日、竹島を正式に島根県に編入(閣議決定)
この時の「議事録」に「他国において、これを占領したと認むべき形跡なく」と明確に書かれており、大韓帝国の領土を強制的に日本領土に編入したのでないことは明らか
なお、大韓帝国の「外交管轄権」が日本になったのは、「第二次日韓協約」締結時(1905年11月17日)であり、竹島を正式に島根県に編入した時より、約10ヶ月後である
また、竹島のことを朝鮮人が独島と呼び始めたのは、大韓帝国末期の1906年以降のことである(1906年、鬱陵郡首の深興澤が鬱陵島の属島の石島のことを独島と呼んだが、これが独島という名称が世に現れた最初である)
●「サンフランシスコ講和条約」で認められた日本領土
最初の草案では日本が放棄する領土として「朝鮮、及び済州島、巨文島、ダジュレー島(鬱陵島)、及びリアンクール岩(竹島)」となっていたが、米駐日政治顧問ウィリアム・シーボルトが「リアンクール岩の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。」と意見したため、再審議の結果、竹島は日本の放棄領土から除外されることとなった
ところが1951年7月19日、8月2日、駐米韓国大使梁祐燦が話を蒸し返し、最初の草案に戻すよう要求
同年8月10日、極東担当国務次官補ディーン・ラスクが韓国側に次のような内容の最終回答
「独島、または竹島ないしはリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は我々の情報によれば、朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もなく、1905年から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。かつて朝鮮によって領土主張がなされたこともありません。」
かくして「サンフランシスコ講和条約」の条項で日本が放棄する領土に竹島は含まれないまま、1951年9月8日調印
●韓国の竹島軍事占拠
1952年1月18日、韓国大統領李承晩は一方的に「李承晩ライン」を設定し、竹島を「李承晩ライン」内に取り込み、「竹島は韓国領」との告示を出す
同日、「日本政府」はこれに対し厳重に抗議
1954年7月、突然韓国は約40名の海軍兵士を竹島に上陸させ、軍事占拠を計り、現在も占拠継続中
韓国軍の竹島占拠に対し、同年9月25日、「日本政府」は正式に「国際司法裁判所」に提訴
しかし同年10月28日に「韓国政府」は「国際司法裁判所」に「審議に応じることを拒否する」と通告
以降一貫して「国際司法裁判所」での審議拒否を続けている
●「日韓基本条約」締結
1965年6月22日、韓国大統領朴正熙は日本との諸問題を全面的、且つ最終的に解決する決断を下し、「日韓基本条約」に調印し、「李承晩ライン」も取り消した(1952年〜1965年に、「李承晩ライン」内に入ったと判断され、韓国側に拿捕された日本船舶は232隻、身柄拘留された日本人は2784人、竹島近海にて銃撃などで殺害された日本人は5名、その他拘留中に死亡した日本人もかなりの数に上っているとのこと)
●「Far Eastern Economic Review」
「Far Eastern Economic Review」(香港紙)の調査報告によれば、「竹島が韓国領と考える国は、世界に一国もない」とのこと(1996年)
●中国の「対日戦略」
2005年3月27日に、それまで「竹島問題」に触れたことのなかった中国国営通信社「新華社」が突然「独島は韓国領土」との報道を行なう
中国政府は韓国が「容共派」の盧武鉉政権となってから、北朝鮮と共に韓国をもコントロールできるとの自信を深めており、「領土問題」についても、竹島を韓国領土と認める代わりに、尖閣列島は中国領土と認めさせる戦略を打ち出し、まず手始めに「独島は韓国領土」とのキャンペーンを始めたものと観測されている
●江戸時代の地図
1724年の日本の地図に正確に竹島が記入されている
1779年の地図にも正確に記入されている
1837年の地図にはさらに正確に記入されている
(江戸時代の地図で竹島が記入されているものは50種類以上ある)
一方、李氏朝鮮時代の地図に竹島を自国領土内に記入しているものは皆無
よく「三国史記」「新羅本紀」「東国嶼地勝覧」などを持ち出して、「512年より竹島は既に新羅領だった」などと主張している人がいるが、それは現在問題になっている竹島ではなく、鬱陵島、ないしは鬱陵島に近接している属島の石島(観音島)、于山島(竹島)のこと
大韓帝国時代の「大韓地誌」(1899年刊行)でも、問題の竹島は大韓帝国領土外となっている
●島根県への編入
1905年1月28日、竹島を正式に島根県に編入(閣議決定)
この時の「議事録」に「他国において、これを占領したと認むべき形跡なく」と明確に書かれており、大韓帝国の領土を強制的に日本領土に編入したのでないことは明らか
なお、大韓帝国の「外交管轄権」が日本になったのは、「第二次日韓協約」締結時(1905年11月17日)であり、竹島を正式に島根県に編入した時より、約10ヶ月後である
また、竹島のことを朝鮮人が独島と呼び始めたのは、大韓帝国末期の1906年以降のことである(1906年、鬱陵郡首の深興澤が鬱陵島の属島の石島のことを独島と呼んだが、これが独島という名称が世に現れた最初である)
●「サンフランシスコ講和条約」で認められた日本領土
最初の草案では日本が放棄する領土として「朝鮮、及び済州島、巨文島、ダジュレー島(鬱陵島)、及びリアンクール岩(竹島)」となっていたが、米駐日政治顧問ウィリアム・シーボルトが「リアンクール岩の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。」と意見したため、再審議の結果、竹島は日本の放棄領土から除外されることとなった
ところが1951年7月19日、8月2日、駐米韓国大使梁祐燦が話を蒸し返し、最初の草案に戻すよう要求
同年8月10日、極東担当国務次官補ディーン・ラスクが韓国側に次のような内容の最終回答
「独島、または竹島ないしはリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は我々の情報によれば、朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もなく、1905年から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。かつて朝鮮によって領土主張がなされたこともありません。」
かくして「サンフランシスコ講和条約」の条項で日本が放棄する領土に竹島は含まれないまま、1951年9月8日調印
●韓国の竹島軍事占拠
1952年1月18日、韓国大統領李承晩は一方的に「李承晩ライン」を設定し、竹島を「李承晩ライン」内に取り込み、「竹島は韓国領」との告示を出す
同日、「日本政府」はこれに対し厳重に抗議
1954年7月、突然韓国は約40名の海軍兵士を竹島に上陸させ、軍事占拠を計り、現在も占拠継続中
韓国軍の竹島占拠に対し、同年9月25日、「日本政府」は正式に「国際司法裁判所」に提訴
しかし同年10月28日に「韓国政府」は「国際司法裁判所」に「審議に応じることを拒否する」と通告
以降一貫して「国際司法裁判所」での審議拒否を続けている
●「日韓基本条約」締結
1965年6月22日、韓国大統領朴正熙は日本との諸問題を全面的、且つ最終的に解決する決断を下し、「日韓基本条約」に調印し、「李承晩ライン」も取り消した(1952年〜1965年に、「李承晩ライン」内に入ったと判断され、韓国側に拿捕された日本船舶は232隻、身柄拘留された日本人は2784人、竹島近海にて銃撃などで殺害された日本人は5名、その他拘留中に死亡した日本人もかなりの数に上っているとのこと)
●「Far Eastern Economic Review」
「Far Eastern Economic Review」(香港紙)の調査報告によれば、「竹島が韓国領と考える国は、世界に一国もない」とのこと(1996年)
●中国の「対日戦略」
2005年3月27日に、それまで「竹島問題」に触れたことのなかった中国国営通信社「新華社」が突然「独島は韓国領土」との報道を行なう
中国政府は韓国が「容共派」の盧武鉉政権となってから、北朝鮮と共に韓国をもコントロールできるとの自信を深めており、「領土問題」についても、竹島を韓国領土と認める代わりに、尖閣列島は中国領土と認めさせる戦略を打ち出し、まず手始めに「独島は韓国領土」とのキャンペーンを始めたものと観測されている
これは メッセージ 15438 (sanngokusi1543 さん)への返信です.
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