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朝鮮とガリア道路比較

投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/07/13 20:13 投稿番号: [151380 / 230347]
>旅人が馬または徒歩で進むペースはいずれの場合も一時間に三マイルで、
  道はとにかく悪い。人工の道はすくなく、あっても夏には土ぼこりが
  厚くて冬にはぬかるみ、均してない場合は、でこぼこの地面と突き出た
  岩の上を轍(わだち)が通っている。たいがいの場合。道といっても
  獣や人間の通用でどうやら識別可能な程度についた道路にすぎない。
  (中略)山間部では、道とはおおかたが渓流の川床に丸石をばら撒いた
  もの以外の何物でもなく、最良の場合でも、冬場のソウル・済物浦
  (チエムルポ)間のように、ぬかるみの深さが1フィートから
  3フィートに及ぶ湿地帯がある。こういったいまわしい乗馬道は、
  わたしも広くたどったが、朝鮮の発展の大きな障害のひとつである

(講談社学術文庫『朝鮮紀行』イザバラ=バード著、時岡敬子訳   P169、
一部修正あり)


で、一方こちらは『ガリア戦記』の冒頭。

>(ヘルヴェティ族にとって)国を出る道は二つしかなかった。一つは
  イゥーラ山とローヌ河の間のセクアニ族を抜ける狭い険しい道で、荷車が
  一台ようやく通れるものであり、高い山が差し迫っているから、僅かな
  人数でも容易く塞がれてしまうであろう。もう一つはローマの属州を
  抜けるもので、ローマに平定されたばかりのアロブロゲース族と
  ヘルヴェティ族の間にはローヌ河が流れているけれども場所によっては
  歩いて渡ることも出来るから、ずっと簡単で便利である

(岩波文庫『ガリア戦記』カエサル著、近山金次訳。訳が古過ぎるので、
塩野七生   『ローマ人の物語Ⅳ   ユリウス・カエサル〜ルビコン以前』に
沿って修正)

これはユリウス・カエサルがガリア平定を行なう直前の、紀元前58年の
記述。ヘルヴェティ族というのは、現レマン湖の東湖畔辺りに住んでいた、
スイス人の御先祖様。ゲルマン人の南進に圧迫される形で、現   仏ブリ
ターニュ地方に移動しようとしたけども、最短ルートは現   仏ブザンソン
付近の敵性種族の領土を通らねばならない、という事の様です。

結局この民族移動はカエサルに阻まれ、“スイス”と西ヨーロッパは
現代の形となった訳ですが、脱線はこのくらいにして、ローマ人という
種族、道を作る事にかけての執着は凄まじく、アスファルトを知らなかった
以外はほぼ現代の舗装道路並みの規格で街道を作っていた種族ですから、
彼等が「野蛮人」と呼んだガリア人の道路がお気に召さなかったのは
仕方ないにしても、実に二千年もの隔たりがあるのに大差がない事に、
ちょっと笑ってしまいます。むしろ後者の場合、現在に直せば国家間の
移動(実際は侵略ではありますが)に荷車が通行可能なだけ、ガリア
地域の文明はバカにしたモンじゃない。因みにカエサルによると、
当時ヘルヴェティ族の人口は三十万人だったと言います。

しかも日本の様に軍事面でワザと不便なままにしてあったにも関わらず、
流通はどんどん発展していった江戸時代と比較すると、インフラ整備
なんか、まったくやる気がなかったという事ですね…
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