Re: 日本と韓国の議論の広場
投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/06/26 10:29 投稿番号: [149856 / 230347]
今日は投稿が少ないようなので
賑やかしに、時代物を
武家の棟梁でありながら、宮廷文化に
憧れ、朝廷との融和を夢見た源実朝
歌人将軍
健保七年一月十七日 右大臣を拝命し
奉賀の祝典の為、鶴岡八幡宮の境内を進む
実朝の心中は、晴れ晴れとした充足感に
溢れていた
これにて、源氏の行く末は磐石なり
父上(頼朝)御安堵あれ
降りしきる雪の中、重臣源仲章(なかあき)と
共に護衛の兵が待つ門前に向かう
その二人の近くに、黒い影が
迫っているのを知る由もなかった
背後より、僧服の刺客が躍り出る
叔父上、覚悟!
我こそは頼家が一子 公暁別当なり!
公暁(くぎょう)の太刀は実朝を直撃
微かに雪化粧した境内は、一瞬にして朱に
染まって行った
鎌倉三代将軍、源実朝は念願の右大臣を
拝命したその日、甥の公暁の手に掛かり
無念の最期を遂げた
(享年二十七歳)
凶刃に倒れた源実朝、後世歌人将軍と呼ばれ
勅撰和歌集にも九十二首が収められている
大海の、磯もとどろに 寄する波
割れて砕けて、裂けて散るかも
将軍と言えど、思い通りにならない
もどかしさを嘆いているように見える
実朝は兄の二代将軍源頼家(よりいえ)が
追放されると、十二歳の若さで将軍となる
幼い将軍を補佐したのは、執権北条時政で
あった
元来病弱であった実朝は、武芸を好まず
蹴鞠や和歌を詠む日々を送っていた
やがて和歌を通じて触れる、雅な宮廷文化に
憧れを持つようになる
これが後々鎌倉武士団との、軋轢の一因と
なったのである
頼朝以来鎌倉幕府は、朝廷との関わりを
絶ってきた、それは多大な犠牲を払い
樹立した武家政権の独立性の確保であり
領地を支配する御家人として、朝廷の
干渉を許す訳にはいかなかった
しかし実朝は、官位を得る事により
源氏の力を高めようと考える
頻繁に使者を送り昇進を願い出ている
当然見返りも要求された
幕府直轄地に朝廷の課税を認めたのである
幕府が朝廷に税を奉納する、これは御家人達の
激しい反発をかった
我等、朝廷に仕えるにあらず
されば、何の為の幕府か
九朗殿(義経)と同じ轍を踏まれる御積りか
実朝は答える
案ずるには及ばず、叔父上は判官
我は右大臣なり
源家の行く末は、内裏(だいり)と
共にあり
朝廷と武家政権の融和、実朝はそんな
理想を持ったのだろうか
しかし、時代は後戻りする事を許さなかった
益々朝廷に傾いていく実朝に、危惧を抱いた
鎌倉武士団に、ある暗黙の合意がなされる
斯くなる上は、是非もなし
将軍討つべし!
実朝排除のうねりは、大きな波となり
もう止めようがなかった、そして事件は
起こった
公暁は程なく、乳母夫の三浦義村に討たれ
口を封じられる
公暁の死により真相は闇の中となった
この事件の背景にあるのは、御家人総意に
よる謀殺だったような気がしてならない
歌人として宮廷文化に憧れ、相反する
武家の棟梁としてはざ間に揺れた源実朝
理想を追い、時代の波に翻弄された
悲劇の将軍と言えるかも知れない
賑やかしに、時代物を
武家の棟梁でありながら、宮廷文化に
憧れ、朝廷との融和を夢見た源実朝
歌人将軍
健保七年一月十七日 右大臣を拝命し
奉賀の祝典の為、鶴岡八幡宮の境内を進む
実朝の心中は、晴れ晴れとした充足感に
溢れていた
これにて、源氏の行く末は磐石なり
父上(頼朝)御安堵あれ
降りしきる雪の中、重臣源仲章(なかあき)と
共に護衛の兵が待つ門前に向かう
その二人の近くに、黒い影が
迫っているのを知る由もなかった
背後より、僧服の刺客が躍り出る
叔父上、覚悟!
我こそは頼家が一子 公暁別当なり!
公暁(くぎょう)の太刀は実朝を直撃
微かに雪化粧した境内は、一瞬にして朱に
染まって行った
鎌倉三代将軍、源実朝は念願の右大臣を
拝命したその日、甥の公暁の手に掛かり
無念の最期を遂げた
(享年二十七歳)
凶刃に倒れた源実朝、後世歌人将軍と呼ばれ
勅撰和歌集にも九十二首が収められている
大海の、磯もとどろに 寄する波
割れて砕けて、裂けて散るかも
将軍と言えど、思い通りにならない
もどかしさを嘆いているように見える
実朝は兄の二代将軍源頼家(よりいえ)が
追放されると、十二歳の若さで将軍となる
幼い将軍を補佐したのは、執権北条時政で
あった
元来病弱であった実朝は、武芸を好まず
蹴鞠や和歌を詠む日々を送っていた
やがて和歌を通じて触れる、雅な宮廷文化に
憧れを持つようになる
これが後々鎌倉武士団との、軋轢の一因と
なったのである
頼朝以来鎌倉幕府は、朝廷との関わりを
絶ってきた、それは多大な犠牲を払い
樹立した武家政権の独立性の確保であり
領地を支配する御家人として、朝廷の
干渉を許す訳にはいかなかった
しかし実朝は、官位を得る事により
源氏の力を高めようと考える
頻繁に使者を送り昇進を願い出ている
当然見返りも要求された
幕府直轄地に朝廷の課税を認めたのである
幕府が朝廷に税を奉納する、これは御家人達の
激しい反発をかった
我等、朝廷に仕えるにあらず
されば、何の為の幕府か
九朗殿(義経)と同じ轍を踏まれる御積りか
実朝は答える
案ずるには及ばず、叔父上は判官
我は右大臣なり
源家の行く末は、内裏(だいり)と
共にあり
朝廷と武家政権の融和、実朝はそんな
理想を持ったのだろうか
しかし、時代は後戻りする事を許さなかった
益々朝廷に傾いていく実朝に、危惧を抱いた
鎌倉武士団に、ある暗黙の合意がなされる
斯くなる上は、是非もなし
将軍討つべし!
実朝排除のうねりは、大きな波となり
もう止めようがなかった、そして事件は
起こった
公暁は程なく、乳母夫の三浦義村に討たれ
口を封じられる
公暁の死により真相は闇の中となった
この事件の背景にあるのは、御家人総意に
よる謀殺だったような気がしてならない
歌人として宮廷文化に憧れ、相反する
武家の棟梁としてはざ間に揺れた源実朝
理想を追い、時代の波に翻弄された
悲劇の将軍と言えるかも知れない
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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