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今日は日本の近代史(戦後)を教える

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2009/06/14 20:48 投稿番号: [148623 / 230347]

  ・GHQによる占領

  1945年の敗戦から、1952年の日本の独立までの7年間、日本はGHQによる占領下にあったが、日本の占領を終わらせ、早期に独立させようとする意志はアメリカ側にはあることはあった。しかし、東西冷戦が始まるとそれは遠のいた。

  なぜなら、独立後の日本を確実にアメリカ側の陣営(西側陣営)に引き入れなければならなかったし、何よりも、日本をソ連、中国といった社会主義陣営に対する、アジアの防壁としなければならなかったからである。

  そのためのに重要な点は、戦争終了を正式に決定する「平和条約」の締結を、西側陣営とのみ行い、社会主義陣営とは条約締結をせず、国交回復も行わないこと。

  そして、占領中と同様にアメリカ軍が自由に日本を利用できるようにするために、日本内のアメリカ軍基地の固定化と、アメリカ軍の常駐を日本に認めさせることであった。


  ・「サンフランシスコ平和条約」

  1951年、日本の占領状態を終わらせるために、アメリカのサンフランシスコに集まった参戦国代表によって結ばれたのが、「サンフランシスコ平和条約」である。

  しかし、アメリカは前記の目的を果たすために、条約内容に「アメリカ軍の駐留の継続」を盛り込んだために、これに反対する数カ国が条約締結に反対し、すべての国との条約締結が実現しなかった。

  もちろん、反対したのは、ソ連をはじめとする社会主義国であった(他にインドなどもあった)。この社会主義国との条約締結をしないままの、条約締結(単独講和)に対して、すべての国と条約締結をすることによって、講和と国交回復を計るべきとの考え(全面講和)は、日本の中でも大きな論争となり、日本政府を揺すった。


  ・「日米安全保障条約」

  平和条約に続いて、アメリカは、アメリカ軍の基地の固定化と自由使用、そして、アメリカ軍の常駐を日本に認めさせるために「日米安全保障条約」を日本との間に結んだ。

  この条約がアメリカにとって、一方的に都合のいい内容であったために、平和条約と並んで、日本国内は賛否両論に分かれた大きな論争となった。




・「サンフランシスコ平和条約」
・「日米安全保障条約」


  この二つの条約はその後の日本の世界における地位を決定づける重要なものであった。自主独立か、アメリカ従属か、この論争は保守、革新を問わず続けられた。なぜなら、保守派であった自由党や民主党内でさえ、反対の声は少なくなかったのである。

  しかし、自由党の吉田政権は、単独講和と安保条約を受け入れ、1952年4月28日GHQによる日本占領は終わり、日本は独立したのである。

  しかし、この二つの条約の締結により、日本はアメリカ軍の基地をその後も抱え込むこととなり、沖縄、小笠原をその後もアメリカ施政下に置くこととなり、中国、ソ連、朝鮮の二つの国との国交回復を果たせず、そのために、北方4島の帰属問題を解決できず、アジア各国への賠償問題も根本的な解決を図ることができなかったのである。

 
  ■アメリカの属国化

  日本にとっての独立とは、すべての対戦国との講和であり、アメリカ占領軍の全面撤退と日本政府の完全なる自主政治の実現であった。

  マッカーサーも当初は、日本のこのような考えを支持していたが、アメリカ政府の強力な指示によって結局は、従わざるを得なかった。

  「日米安全保障条約」は日本国内でも論議され、学生その他知識人によるデモや暴動が数多くくりひろげられましたが、政府により鎮圧されました。

  ■   日本の戦後

  アメリカの属国化で冷戦時代のアジアの防御壁(不沈空母)、すなわちアメリカにとって都合の良い国のまま60年を過ごしてきました。

  軍備もアメリカ支給品で徴兵制はなく、国民の国に対する入れ込みはほとんどなしですね。

  他のアジア諸国ではアメリカの手によって去勢されたオカマ民族と陰口をたたかれている。

  その事はお気づきですか?
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