Re: ①今日は韓国の歴史捏造を修正
投稿者: super08071972a 投稿日時: 2009/05/31 15:30 投稿番号: [147397 / 230347]
相変わらず歴史の流れを無視して捏造しまくっているね。しかも太平洋戦争は3行だけ?君は歴史を知らないようだから一連流れを整理してあげよう。
①開国を果たした日本は、皆に追いつくために富国強兵を旗印とした軍国主義国家でした。
…富国強兵は事実だが軍国主義ではないぞ。日本が軍国主義に入ったのは昭和恐慌の前後からだ。日露戦争では12個師団と近衛師団の13しかなく国内に師団が残らない状況が生まれてあわてて4個師団増設したほどだぞ。
②昔から持っていた島国根性や韓国人や中国人に対する差別意識、将来中国を侵略するために、何とか朝鮮半島を日本のものにしようと考えていました。そこで日本は軍艦を朝鮮半島へ向かわせ挑発を行い、攻撃されたことを理由に役所や民家を焼き払って侵略をしました。朝鮮側は日本軍に対して攻撃を加えましたが、日本側はその攻撃が軍艦まで届かないことを知っていました。それが江華島事件といわれるものであり、日本の朝鮮半島侵略の第一歩でありました。その行動を非難し、最初に行動を起こしたのが中国でした。日本はその中国を武力で黙らせようとし、中国は侵略されている朝鮮半島を助けるため軍を派遣しました。
…江華島事件のことを言っているのだろうが事件の原因になった朝鮮の外交無礼の記述が抜けているぞ。維新の新政府の樹立の国書という平和な外交使節を監禁して食糧攻めにした非礼は文明国なら十分抗戦の理由になるぞ。清が朝鮮を助けるのは当然だろ。日本の外交使節への無礼の理由が朝鮮は清の臣下であり日本が皇(天皇)の言葉を使っている文書を受け取るわけにはいかないというのが理由だ。属国であった朝鮮を宗主国が守るのは当然だ(朝鮮の独立は日清戦争後だぞ)。
③それによって日本と中国との間に戦争が起こり、周到な準備によって勝利した日本は中国から多額の賠償金と台湾を得ることに成功しました。
…いや江華島事件では清の皇帝は朝鮮王に対して日本からの外交文書を受け取るように命令し、結果的には日朝修好条規でこの件は終わっている。日清戦争壬午事変と甲申政変の朝鮮国内の統治能力の欠如と内部での権力闘争(事大党(清)VS独立党(日本))に日本と清がそれぞれ要請された介入戦争だ。もちろん清には日朝修好条規で家臣の朝鮮が清から離れそうになったため従来の属国から直轄の属国(=植民地)にして自分の勢力にとどめようという思惑があったし、日本にとっては地勢的に朝鮮半島は大国の支配下になられては国防上困るという思惑があった。
戦争の後、日本が韓国を独立させるためと称して保護国としましたが「韓国を独立させるため」というのは当然嘘で日露戦争あたりから日本は馬脚をあらわし始め、最終的には日本の植民地になってしまった。
…実際に下関条約で清から独立した。その後も派閥闘争が続き清の敗北で事大党は親露派になり、親日派の今でいう内閣と親露派の皇室の対立が続き結果的に高宗はハーグ密使事件では世界から相手にされなかったが朝鮮の大臣から罷免され退位。
日露戦争は関税圏や鉄道の敷設権、鉱山の採掘権等をロシアに奪われ植民地化が進んでいた朝鮮半島に対して日本が危機感を抱き、英米と連携して戦った戦争。ここまでの日本の外交は国際的に賞賛され国際連盟理事国の一因になっている。
日韓併合について2001年の国際会議での結論は合法
「2001年にハーバード大学アジアセンター主催で開かれた国際学術会議において韓国併合の合法性が論議された。韓国や北朝鮮の学者は違法論を展開したが、欧米の国際法学者らからはまったく受け入れられず、かえって合法論が英ケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授(国際法)らから出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」。また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年−1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」などの意見が出たほか、併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出されたという。また、日本の学者からも、併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を保護国にした日韓保護条約(1905年)について、皇帝(国王)の日記など韓国側資料の「日省録」や「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に賛成し批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し注目された。」
①開国を果たした日本は、皆に追いつくために富国強兵を旗印とした軍国主義国家でした。
…富国強兵は事実だが軍国主義ではないぞ。日本が軍国主義に入ったのは昭和恐慌の前後からだ。日露戦争では12個師団と近衛師団の13しかなく国内に師団が残らない状況が生まれてあわてて4個師団増設したほどだぞ。
②昔から持っていた島国根性や韓国人や中国人に対する差別意識、将来中国を侵略するために、何とか朝鮮半島を日本のものにしようと考えていました。そこで日本は軍艦を朝鮮半島へ向かわせ挑発を行い、攻撃されたことを理由に役所や民家を焼き払って侵略をしました。朝鮮側は日本軍に対して攻撃を加えましたが、日本側はその攻撃が軍艦まで届かないことを知っていました。それが江華島事件といわれるものであり、日本の朝鮮半島侵略の第一歩でありました。その行動を非難し、最初に行動を起こしたのが中国でした。日本はその中国を武力で黙らせようとし、中国は侵略されている朝鮮半島を助けるため軍を派遣しました。
…江華島事件のことを言っているのだろうが事件の原因になった朝鮮の外交無礼の記述が抜けているぞ。維新の新政府の樹立の国書という平和な外交使節を監禁して食糧攻めにした非礼は文明国なら十分抗戦の理由になるぞ。清が朝鮮を助けるのは当然だろ。日本の外交使節への無礼の理由が朝鮮は清の臣下であり日本が皇(天皇)の言葉を使っている文書を受け取るわけにはいかないというのが理由だ。属国であった朝鮮を宗主国が守るのは当然だ(朝鮮の独立は日清戦争後だぞ)。
③それによって日本と中国との間に戦争が起こり、周到な準備によって勝利した日本は中国から多額の賠償金と台湾を得ることに成功しました。
…いや江華島事件では清の皇帝は朝鮮王に対して日本からの外交文書を受け取るように命令し、結果的には日朝修好条規でこの件は終わっている。日清戦争壬午事変と甲申政変の朝鮮国内の統治能力の欠如と内部での権力闘争(事大党(清)VS独立党(日本))に日本と清がそれぞれ要請された介入戦争だ。もちろん清には日朝修好条規で家臣の朝鮮が清から離れそうになったため従来の属国から直轄の属国(=植民地)にして自分の勢力にとどめようという思惑があったし、日本にとっては地勢的に朝鮮半島は大国の支配下になられては国防上困るという思惑があった。
戦争の後、日本が韓国を独立させるためと称して保護国としましたが「韓国を独立させるため」というのは当然嘘で日露戦争あたりから日本は馬脚をあらわし始め、最終的には日本の植民地になってしまった。
…実際に下関条約で清から独立した。その後も派閥闘争が続き清の敗北で事大党は親露派になり、親日派の今でいう内閣と親露派の皇室の対立が続き結果的に高宗はハーグ密使事件では世界から相手にされなかったが朝鮮の大臣から罷免され退位。
日露戦争は関税圏や鉄道の敷設権、鉱山の採掘権等をロシアに奪われ植民地化が進んでいた朝鮮半島に対して日本が危機感を抱き、英米と連携して戦った戦争。ここまでの日本の外交は国際的に賞賛され国際連盟理事国の一因になっている。
日韓併合について2001年の国際会議での結論は合法
「2001年にハーバード大学アジアセンター主催で開かれた国際学術会議において韓国併合の合法性が論議された。韓国や北朝鮮の学者は違法論を展開したが、欧米の国際法学者らからはまったく受け入れられず、かえって合法論が英ケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授(国際法)らから出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」。また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年−1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」などの意見が出たほか、併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出されたという。また、日本の学者からも、併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を保護国にした日韓保護条約(1905年)について、皇帝(国王)の日記など韓国側資料の「日省録」や「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に賛成し批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し注目された。」
これは メッセージ 147371 (kim_taek_joo さん)への返信です.
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