日本人は世界一英語が下手な民族
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2009/05/16 13:01 投稿番号: [145878 / 230347]
「英語が話されている国」と言われると、ほとんどの方はアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどを思い浮かべることでしょう。しかし、実際にはここに挙げた5つの国は、「英語が話されている国」のごく一部に過ぎません。一説によれば、英語は60を越える国で公用語、あるいはそれに準ずる重要な役割を果たしていると言われています。
TOEFLの平均点の国際比較を引用するまでもなく、日本人の英語が下手なことは自他ともに認めるところだ。テレビでも日本人の英語の下手さ加減をネタにするバラエティ番組が多くあるほどである。しかし、中学校から高校まで6年間、大学の教養課程を含むと、成人した日本人は大体6年間から8年間の英語を勉強したことになっているはずなのに、その大半は英語で道案内さえできないことを考えれば、決して笑って済まされることではない。
現状で考えられる問題点は、日本の教育ではやはりSpeakingの部分への重きが少ない事が一番なのではないでしょうか。大学生の身分として感じるのは、皆、辞書を繰りつつ作文を作る事は何とかできるものの、いざ「喋れ」となると、全く違う。話す脳の部分は聞く・書く・考える、といったパーツとは区別して考えた方が、教育上もよいと思います。
まず、学校英語を何年勉強しても、しゃべれるようにならない最大の原因は、日本の「翻訳文化」にあるといえます。聞きなれない言葉ですが、日本は翻訳文化です。その証拠に歴史的に日本は大きな変化を迎える時、国を上げて翻訳に取り組んできました。その一つの例が、明治維新であり、文明開化、富国強兵、殖産興業の旗印のもと、欧米列強のすすんだ、文明を取り入れるために主として用いたのが、翻訳の技術でした。すすんだ欧米の技術を取り入れるために、多くの書物を日本語に翻訳することにより、海外の情報をとりいれました。その当時布かれた学制(学校制度)での英語の時間には、いわば、「翻訳技術」の伝達が主として行われたことが予想されます。つまり、コミュニケーションとしての英語には端から意図がなく、優秀な翻訳者の養成がその主眼であったと言うわけなのです。そのために採用されたのが、「訳読方式」。この方式は、明治から百年以上たった今でも連綿として続いています。さらに、文化であるがゆえに、明治から溯ること数百年前にも、日本人は、他の国と言語に対してやはり、翻訳を国を挙げて行っています。
中国と中国語です。その名残として、「漢文」という教科が、残されています。しかも、国語(日本語)の時間に。漢文は、もともと中国語のはず、であれば、高校の漢文の先生は、中国語がぺらぺらのはずです。つまりこれと同じ事が英語に関して起こったというわけなのです。ポイントは、音を無視した外国語教育に学校英語の最大の問題点があるのです。
TOEFLの平均点の国際比較を引用するまでもなく、日本人の英語が下手なことは自他ともに認めるところだ。テレビでも日本人の英語の下手さ加減をネタにするバラエティ番組が多くあるほどである。しかし、中学校から高校まで6年間、大学の教養課程を含むと、成人した日本人は大体6年間から8年間の英語を勉強したことになっているはずなのに、その大半は英語で道案内さえできないことを考えれば、決して笑って済まされることではない。
現状で考えられる問題点は、日本の教育ではやはりSpeakingの部分への重きが少ない事が一番なのではないでしょうか。大学生の身分として感じるのは、皆、辞書を繰りつつ作文を作る事は何とかできるものの、いざ「喋れ」となると、全く違う。話す脳の部分は聞く・書く・考える、といったパーツとは区別して考えた方が、教育上もよいと思います。
まず、学校英語を何年勉強しても、しゃべれるようにならない最大の原因は、日本の「翻訳文化」にあるといえます。聞きなれない言葉ですが、日本は翻訳文化です。その証拠に歴史的に日本は大きな変化を迎える時、国を上げて翻訳に取り組んできました。その一つの例が、明治維新であり、文明開化、富国強兵、殖産興業の旗印のもと、欧米列強のすすんだ、文明を取り入れるために主として用いたのが、翻訳の技術でした。すすんだ欧米の技術を取り入れるために、多くの書物を日本語に翻訳することにより、海外の情報をとりいれました。その当時布かれた学制(学校制度)での英語の時間には、いわば、「翻訳技術」の伝達が主として行われたことが予想されます。つまり、コミュニケーションとしての英語には端から意図がなく、優秀な翻訳者の養成がその主眼であったと言うわけなのです。そのために採用されたのが、「訳読方式」。この方式は、明治から百年以上たった今でも連綿として続いています。さらに、文化であるがゆえに、明治から溯ること数百年前にも、日本人は、他の国と言語に対してやはり、翻訳を国を挙げて行っています。
中国と中国語です。その名残として、「漢文」という教科が、残されています。しかも、国語(日本語)の時間に。漢文は、もともと中国語のはず、であれば、高校の漢文の先生は、中国語がぺらぺらのはずです。つまりこれと同じ事が英語に関して起こったというわけなのです。ポイントは、音を無視した外国語教育に学校英語の最大の問題点があるのです。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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