日本と韓国の議論の広場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 李舜臣

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/05/10 11:44 投稿番号: [145271 / 230347]
島津義弘は猛蒋でしたね、それを示す
エピソードがあります

少しだけ

        敵中突破

関が原の戦いで、西軍総崩れになった頃
進退に窮している一団があった

島津義弘率いる、薩摩島津軍である
その数約一千、周りを東軍に囲まれ
絶対絶命の窮地であった

殿、もはや四面楚歌で御座る
この上は、最後の一太刀を

もうよい、余はここで腹を切る
そなたらは、徳川殿に降るが良い

義弘は我が身を捨て、家臣を助けようと
したのである
これを聞いた、甥の島津豊久が進み出る

叔父上、勝敗は時の運   何れ捲土重来を
期す折も参りましょう

此度は何としても薩摩に御戻りを

義弘は暫し熟考に耽る、この死地を如何に
切り抜けるか、やがて意を決する

斯く成る上は、敵陣突破あるのみ
敵に背を向けるは、末代までの恥

目指すは徳川軍   皆の者、続けー!

オオー!

徳川軍の主力が集結する、敵陣目指して
切り込んでいった   それは異様な光景で
あった

千人余りの集団が、数万の敵陣の中に自ら
飛び込んで来たのである

義弘は猛将として、若い頃よりその名を
轟かせていた、木崎原の戦いでは
日向佐土原に本拠を置く伊東義祐の
軍勢を僅かな兵力で、打ち破っている

この木崎原の戦いは、九州の桶狭間と
言われ薩摩九州制圧のきっかけとなった

朝鮮の役でも数々の武勲を立て、薩摩軍は
鬼神の如しと恐れられていた
義弘は兄の当主義久と違い、常に前線で
戦って来た

武人としての誇りが、義弘に無謀とも言える
行動を取らせたのかも知れない

薩摩軍は、まず前線の福島正則隊の脇を
一気に駆け抜け本陣の目前を、南下して
いった

これに対して追撃も厳しかった、井伊直政
本多忠勝らが猛然と襲い掛かる

薩摩勢、一騎たりとも討ち漏らすな
押し潰せー!

その激しさは、追撃の総大将井伊直政が
この時の負傷が元で後々、死亡した
程であった

薩摩軍にも大きな被害が出た、甥の豊久や
家老の長寿院盛淳など多くが戦死
半数近く犠牲にして、ようやく摂津住吉に
逃れ海路薩摩に戻っている

この薩摩の敵中突破は、東軍西軍に関わらず
関が原に参戦した、多くの武将達を驚かせた

薩摩隼人の戦さ振り、武人の鑑なり!

家康にも感銘を与えたのか、戦後の
論功行賞で薩摩は西軍に与力したにも
関わらず、所領は安堵となった

いずれにしてもこの薩摩の敵中突破は
関が原の逸話として永く、人々の記憶に
残ったのである
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)