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古朝鮮と中国

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2009/05/02 13:07 投稿番号: [144241 / 230347]
2   三国間の競争と対外関係

三国の外交

三国時代にわが民族は主に中国の侵略勢力と対決し、抗争した。とくに、国境を直接接していた高句麗の場合はなおさらそうだった。高旬麗は中国の漢の郡県との対立抗争のなかで成長し、ついにはこれらの勢力を追い出すことによって国家発展の土台を作った。

  高句麗は衛、前燕などの侵入で一時危機を迎えたこともあったが、中国勢力の圧力を追い出して、広開土大王以後には東アジアの大帝国建設に成功した。

  高句麗の全盛期に中国は依然として分裂状況にあったので、こうした事情をうまく利用した高句麗は、南北朝と外交関係を樹立することによって中国の勢力を巧妙に牽制した。

[写真:新羅一百済通門(全羅北道、茂朱)]
[写真:七支刀]

  一方、百済は北方民族や中国の北朝とたえず接触したのではないが、やはり漢の郡県の侵入を退けながら成長した。また、百済は発展過程で遼西、山東地方まで進出して(3)対外的影響力を誇示し、熊津へ遷都した後には中国の南朝と緊密な関係を維持した。

  新羅は韓半島の東南部に偏っており、はじめは中国との交渉が高句麗や百済をとおして行なわれた。早くから高句麗をとおして北朝の文物が伝えられ、漢江流域占領以後には党項城を築いて黄海をとおして中国と直接交流した。

  三国の中で倭と最も緊密な関係を維持した国は百済であった。これは、多数の百済流移民が九州地方などの地に進出して国家建設につくしたためである。日本に現存する七支刀という刀は、百済王が倭王に贈ったもので、両国の親交関係をよく説明してくれるものである。

  百済はこのような関係にもとづいて倭軍を引き入れ、三国間の競争に利用したこともあった。
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