必ずこうという仮定は未来にするもの?
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/09/28 22:26 投稿番号: [1441 / 230347]
>昔、日系アメリカ人が第二次戦争中に隔離されました。それを戦後50年たちアメリカ政府は彼らに正式謝罪しました。そのことを日本人は「アメリカ人は日本人に謝った」と誤解する人が多いのですが、あれは「アメリカ国籍を持つ市民が日系だから差別された」ことに米国政府が謝罪しただけで、戦争状態であった時、敵国の国籍を持つものが隔離されるのは当然のことと思われます。
2点、気になりました。
一つは、アメリカにおいて多民族国家(連邦国家)であることを否定することは、すなわち存在を否定することに等しいという
こと。
もう一つは、アメリカが第2次大戦に参加した遠因には、ドイツで弾圧されたユダヤ民族の状況にたいし、米国をはじめとする国外のユダヤ人の圧力や協力があったということ
ユダヤに対しおこなったアメリカの施策に比べ、対戦国であった日本に大して弾圧したなら、アメリカの施策は自己矛盾する結果になります。
>「日本と韓国が外交上の最終的な状況に至らない」ということを前提にしていることです
この前提はいかなる二カ国間でも必ず守られるものではありません。
国際条約や国家間条約が破棄される例は今も昔も頻繁にあります。
将来のことは約束できません。
過去の歴史に「もし?」というのとなんらかわらないと思います。
ですので、現在存在しない徴兵制を考えることにあまり意味があるようにも感じませんが、個人が兵卒として戦うようになる同期があれば、いかなる個人でも本当に大事なもののために戦うでしょう。
それが、国家・民族・家族・友人のためなのか、既得資産のためか、それもそれぞれ個人のさじかげんです。
当事者の国で懲役忌避という行為があるように、また一方で、他国で志願兵になるこも個人が自分のポリシーに則って決定することになりません。
この点で、在日韓国人が特別な存在でもなく、私は家族や自分の財産を守りたいため、日本側につくでしょう。
たとえ、後に売国奴といわれようと、そんなことはいいたい輩にいわせればいいわけです。
これは メッセージ 1435 (nijinijufun さん)への返信です.
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