強制連行の犠牲者
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2009/04/27 06:16 投稿番号: [143686 / 230347]
第二次大戦中の1941年、当時の京都飛行場に隣接する日本国際 航空工業の土地に、航空機工場を建設するために動員された労働者 らへ、敷地の一画に飯場が作られたのがはじまりという。 当時、この労働者募集は兵役を免れる事を望んだ人が集まったもの で、一部の朝鮮人や反日団体が主張する「強制徴用」とは訳が違う 。 しかし1945年に京都飛行場は米軍の爆撃を受け、それが元で航 空機工場の建設が中止さ...
http://www.youtube.com/watch?v=nYeKYwnvn14
http://www.youtube.com/watch?v=jESuyrNAwxw&feature=related
ウトロ住民が働いた国策会社の日本国際航空工業(株)は、46年2月に日国工業(株)と社名変更。同年10月には、新会社としてアメリカ軍向けトラックやバスなどの生産をする新日国工業(株)(=のち1962年に日産自動車系列、日産車体に)が誕生。旧会社の日国工業は旧軍需会社の資産の精算を目的とする会社となり、ウトロの土地もその中に含まれたが、いつしか日本人はいなくなり、労賃の支払いも生活の補償も何らないまま放置された。
強制連行により余儀なく日本に在住。
帰国したいが、朝鮮にはすでに家がない。旅費もない。ないない尽くしの朝鮮人たちがウトロに取り残されたのである。戦後の混乱期に、朝鮮人が日本で生きていく労苦は想像に余りある。
「食糧は、周辺の土地を耕してイモを作って自給。アメリカ軍の演習場で、命からがら砲弾の破片を拾ってきて屑鉄業者に売った。みんな明日食べていくために必死でした」(文さん)
劣悪な環境はその後も続いたが、ウトロに同胞が集まってきた。つまはじきにされる日本人社会よりも同胞が寄り添うウトロの方が暮らしやすく、故郷の情報も得やすかったからだ。そのような状況の中で、ウトロは朝鮮半島へ帰国する中継基地・情報センターの役割を果たすようになり、一棟の長屋を教室に帰国前の子どもたちに母国語などを教える民族学校も開設された(民族学校は49年、日本政府の弾圧により閉鎖)。
50年に朝鮮戦争が始まると、ウトロに隣接する大久保基地が米軍の兵站拠点となった。新日国工業が車両や爆薬を作り、莫大な利益をあげる。ウトロ住民は、なんとも皮肉な光景を目のあたりにして暮らさなければならなかった。52年3月には、鉄砲を担いだアメリカ兵100人以上が「出て行け」と現れ、決死の覚悟で「出ていかない」と抵抗するという緊迫の場面もあった。
そうこうするうちに、朝鮮半島が政情不安定となり、「帰国したくても帰国できない」状況に拍車がかかる。ウトロの朝鮮人住民たちはそのまま定住するしかなくなったのである.
http://www.youtube.com/watch?v=nYeKYwnvn14
http://www.youtube.com/watch?v=jESuyrNAwxw&feature=related
ウトロ住民が働いた国策会社の日本国際航空工業(株)は、46年2月に日国工業(株)と社名変更。同年10月には、新会社としてアメリカ軍向けトラックやバスなどの生産をする新日国工業(株)(=のち1962年に日産自動車系列、日産車体に)が誕生。旧会社の日国工業は旧軍需会社の資産の精算を目的とする会社となり、ウトロの土地もその中に含まれたが、いつしか日本人はいなくなり、労賃の支払いも生活の補償も何らないまま放置された。
強制連行により余儀なく日本に在住。
帰国したいが、朝鮮にはすでに家がない。旅費もない。ないない尽くしの朝鮮人たちがウトロに取り残されたのである。戦後の混乱期に、朝鮮人が日本で生きていく労苦は想像に余りある。
「食糧は、周辺の土地を耕してイモを作って自給。アメリカ軍の演習場で、命からがら砲弾の破片を拾ってきて屑鉄業者に売った。みんな明日食べていくために必死でした」(文さん)
劣悪な環境はその後も続いたが、ウトロに同胞が集まってきた。つまはじきにされる日本人社会よりも同胞が寄り添うウトロの方が暮らしやすく、故郷の情報も得やすかったからだ。そのような状況の中で、ウトロは朝鮮半島へ帰国する中継基地・情報センターの役割を果たすようになり、一棟の長屋を教室に帰国前の子どもたちに母国語などを教える民族学校も開設された(民族学校は49年、日本政府の弾圧により閉鎖)。
50年に朝鮮戦争が始まると、ウトロに隣接する大久保基地が米軍の兵站拠点となった。新日国工業が車両や爆薬を作り、莫大な利益をあげる。ウトロ住民は、なんとも皮肉な光景を目のあたりにして暮らさなければならなかった。52年3月には、鉄砲を担いだアメリカ兵100人以上が「出て行け」と現れ、決死の覚悟で「出ていかない」と抵抗するという緊迫の場面もあった。
そうこうするうちに、朝鮮半島が政情不安定となり、「帰国したくても帰国できない」状況に拍車がかかる。ウトロの朝鮮人住民たちはそのまま定住するしかなくなったのである.
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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