国民性
投稿者: aqvv2006 投稿日時: 2009/03/30 07:16 投稿番号: [141897 / 230347]
>そのとき「すみません」という言葉を耳にした記憶はあまりない。後ろから来る人のために、ドアの扉がしまらないようつかんであげる人もほぼいない。扉を開けてあげて、入ってくる人から「どうもありがとう」という言葉を聞いた経験はもっとない。
うーん、本当に気遣いや感謝というものを理解できない国民性なのですね。
別に韓国人だけであれば問題ないでしょうが、今は海外からも人が来るわけですから、何時までもこのような状態では、韓国のイメージが悪くなることは理解できるはずなのでしょうが、何時になったら理解できるのだろうか?
>だから旅行者が不愉快にならないよう、こうした韓国の「街での常識」を知らせるのは、ガイドブックとして当然すべきことだという気がした。
ああ、これはもう永遠に理解できないのではと思う。
韓国を代表するようなメディアの1つが、このようなことでは困る。
もっとも、この記事は最後に
>ソウルの街でぶつかり、足を踏まれた後「すみません」という言葉を一度も耳にすることができなかった外国人が、果たして韓国を「配慮する国」と、そして「愛したい国」と考えることができるだろうか。国家のイメージは、国民一人ひとりが作っていくものだ。
と締めくくっているので、まだ韓国も何とかなるのかもしれない。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=113239&servcode=100§code=100
『【グローバルアイ】「韓国は謝らない国」
関連タグ 韓国
「韓国では道で誰かとぶつかっても、すみませんという言葉を決して言わないというけど、それって本当なの?」−−。
最近あるフランス人の友人が目を丸くして尋ねてきた。友人は、韓国について説明したガイドブックからそうした内容を読んで、びっくりしたと話した。その友人に本の題名を尋ねて、市内の書店で読んでみた。
韓国旅行を準備するフランス人のために作られたその本には「韓国でしなければならないこと、してはならないこと」が紹介されてあった。「道で身体がぶつかっても誰も謝罪をしない」「地下鉄で足を踏んでもすみませんと言わない」という内容が収められていた。同書は「だから、そんな目に遭っても、怒ってはいけない」と忠告している。
韓国を未開な国と記したようで不快だったが、ソウルのことを思い出してみると、すぐに気持ちが変わった。ソウル市内ではすれ違いざまに肩がぶつかるのは日常茶飯事だ。そのとき「すみません」という言葉を耳にした記憶はあまりない。後ろから来る人のために、ドアの扉がしまらないようつかんであげる人もほぼいない。扉を開けてあげて、入ってくる人から「どうもありがとう」という言葉を聞いた経験はもっとない。
だから旅行者が不愉快にならないよう、こうした韓国の「街での常識」を知らせるのは、ガイドブックとして当然すべきことだという気がした。欧州のどの都市を回ってみても、街で肩がぶつかることはほとんどない。それ自体が失礼だと思われ、避けて通っているからだ。ぶつかりそうになっただけでも、2人はほぼ同時に「すみません」と謝る。「ともに暮らしやすい」ように、社会が定めておいた一種の規則であるわけだ。
(中略)
乗客は駅員から切手が貼られた封筒1枚ずつを静かに受けとっていた。「電車の切符を鉄道会社宛てに送ってくれれば、この次、チケットを購入する際には割引金額を適用します」というアナウンスが流れた。
地下鉄が延着すると駅員の胸ぐらをつかみ、什器を壊し、大雪で飛行機が飛べなくなると空港でデモを行う国の国民としては、とうてい信じられない風景だった。フランス人も欧州では忍耐力がなく、血の気が多いと言われる。しかし、こうした状況では誰もが落ち着いて、決まった規則を守っており、おかげで秩序が維持されることができた。「これこそ、本当の先進国」という気がした。
韓国政府が最近、国家のイメージを改善するため「配慮し、愛される大韓民国」という標語を作ったもようだ。しかし政府が標語をひとつ作るからといって、国のイメージが変わるわけではない。ソウルの街でぶつかり、足を踏まれた後「すみません」という言葉を一度も耳にすることができなかった外国人が、果たして韓国を「配慮する国」と、そして「愛したい国」と考えることができるだろうか。国家のイメージは、国民一人ひとりが作っていくものだ。 』
うーん、本当に気遣いや感謝というものを理解できない国民性なのですね。
別に韓国人だけであれば問題ないでしょうが、今は海外からも人が来るわけですから、何時までもこのような状態では、韓国のイメージが悪くなることは理解できるはずなのでしょうが、何時になったら理解できるのだろうか?
>だから旅行者が不愉快にならないよう、こうした韓国の「街での常識」を知らせるのは、ガイドブックとして当然すべきことだという気がした。
ああ、これはもう永遠に理解できないのではと思う。
韓国を代表するようなメディアの1つが、このようなことでは困る。
もっとも、この記事は最後に
>ソウルの街でぶつかり、足を踏まれた後「すみません」という言葉を一度も耳にすることができなかった外国人が、果たして韓国を「配慮する国」と、そして「愛したい国」と考えることができるだろうか。国家のイメージは、国民一人ひとりが作っていくものだ。
と締めくくっているので、まだ韓国も何とかなるのかもしれない。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=113239&servcode=100§code=100
『【グローバルアイ】「韓国は謝らない国」
関連タグ 韓国
「韓国では道で誰かとぶつかっても、すみませんという言葉を決して言わないというけど、それって本当なの?」−−。
最近あるフランス人の友人が目を丸くして尋ねてきた。友人は、韓国について説明したガイドブックからそうした内容を読んで、びっくりしたと話した。その友人に本の題名を尋ねて、市内の書店で読んでみた。
韓国旅行を準備するフランス人のために作られたその本には「韓国でしなければならないこと、してはならないこと」が紹介されてあった。「道で身体がぶつかっても誰も謝罪をしない」「地下鉄で足を踏んでもすみませんと言わない」という内容が収められていた。同書は「だから、そんな目に遭っても、怒ってはいけない」と忠告している。
韓国を未開な国と記したようで不快だったが、ソウルのことを思い出してみると、すぐに気持ちが変わった。ソウル市内ではすれ違いざまに肩がぶつかるのは日常茶飯事だ。そのとき「すみません」という言葉を耳にした記憶はあまりない。後ろから来る人のために、ドアの扉がしまらないようつかんであげる人もほぼいない。扉を開けてあげて、入ってくる人から「どうもありがとう」という言葉を聞いた経験はもっとない。
だから旅行者が不愉快にならないよう、こうした韓国の「街での常識」を知らせるのは、ガイドブックとして当然すべきことだという気がした。欧州のどの都市を回ってみても、街で肩がぶつかることはほとんどない。それ自体が失礼だと思われ、避けて通っているからだ。ぶつかりそうになっただけでも、2人はほぼ同時に「すみません」と謝る。「ともに暮らしやすい」ように、社会が定めておいた一種の規則であるわけだ。
(中略)
乗客は駅員から切手が貼られた封筒1枚ずつを静かに受けとっていた。「電車の切符を鉄道会社宛てに送ってくれれば、この次、チケットを購入する際には割引金額を適用します」というアナウンスが流れた。
地下鉄が延着すると駅員の胸ぐらをつかみ、什器を壊し、大雪で飛行機が飛べなくなると空港でデモを行う国の国民としては、とうてい信じられない風景だった。フランス人も欧州では忍耐力がなく、血の気が多いと言われる。しかし、こうした状況では誰もが落ち着いて、決まった規則を守っており、おかげで秩序が維持されることができた。「これこそ、本当の先進国」という気がした。
韓国政府が最近、国家のイメージを改善するため「配慮し、愛される大韓民国」という標語を作ったもようだ。しかし政府が標語をひとつ作るからといって、国のイメージが変わるわけではない。ソウルの街でぶつかり、足を踏まれた後「すみません」という言葉を一度も耳にすることができなかった外国人が、果たして韓国を「配慮する国」と、そして「愛したい国」と考えることができるだろうか。国家のイメージは、国民一人ひとりが作っていくものだ。 』
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