私の声は、教科書に書かれている事実
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2009/03/29 08:04 投稿番号: [141782 / 230347]
君は間違った思い込みをしている。
2 民族の試練
概要
20世紀に入って日帝の侵略行為が本格化するにつれ、わが民族は政治、経済、社会、文化の各方面において自主権を侵奪された。
日帝はわが民族の抵抗を武力で弾圧し、われわれの主権を侵害する各種の条約を強要したうえ、最後には国権までも強奪し植民地にした。そして植民政治機関として朝鮮総督府を設置し、協力な軍事力を背景に世界でその類例のない武断政治をほしいままに行った。
これに対してわが民族は挙族的な抵抗をしたが、日帝は植民統治方式を変えて、わが民族を離間、分裂させようとした。さらにより強圧的に民族を弾圧し、韓民族の文化と伝統を抹殺しようとした。
また、日帝は大陸侵略を強化し、韓半島を兵站基地にしていったが、これによってわが民族は人的・物的資源を収奪され民族の生存権まで脅威にさらされた。
◇研究課題◇
1 日帝の国権侵奪はどのような段階を経て行なわれたか。
2 日帝の韓国侵略に対する列強の態度はどうだったか。
3 乙巳条約が無効である理曲は何か。
4 3・1運動以後、日帝の統治方式はどのように変わっていったか。
5 日帝の植民地収奪政策の目的と方法はどうだったか。
大陸侵略と総動員令
第1次世界大戦以後、アメリカの産業は技術の発達と企業の合理化によって生産力が高まった。しかし、商品の購買力が生産量に追いつかず、供給過剰現象をまねき、1929年ニューヨークの証券市場で株価が急落し、経済恐慌が起こった。この恐慌は急速に世界各国に波及し、経済破綻をもたらした。
経済基盤の弱かった日本も大きな打撃を受け、都市失業者が増加し、農村経済が崩壊し、罷業と小作争議が頻繁に起こり、社会不安が増大し、政府に対する不信は日ごとに高まっていった。
この過程で日本軍部は政変を起こし実権を掌握し、経済恐慌の打開策として大陸侵略を敢行し満州事変を起こした。そしてわが国を大陸侵略の兵鈷基地にし、経済的収奪を強化した。
日帝の経済侵奪は1930年代に入って新しい様相で展開した。日帝は産米増殖計画が困難に直面すると、工業原料増産政策に方向を換え、綿花の栽培と綿羊の飼育を試みる、いわゆる南綿北羊政策を立て、これをわが農村に強要した。
また、日帝は侵略戦争のために発電所と軍需工場を建て、鉱山を開発し、金属・機械・重化学工業を育成した。しかし、これらはすべて日帝の戦争遂行のためのものであって、韓半島の経済を植民地経済体制にいっそう徹底的に隷属させるものであった。
中日戦争を起こし、大陸侵略を本格化した日帝は、国家総動員令を下し、韓国で人的・物的資源の収奪を強化した。
日帝は軍糧確保のために、中断していた産米増殖計画を再開し、目標量を定めて各道に割り当て、これをまた府・郡・邑・面を経て各村、各個人にまで割り当てた。また、消費規制を目的に食糧配給制度を実施し、さらに米穀供出制度も施行した。そして総督府は日本軍の軍需品に充当するために各種家畜増殖計画を立て、家畜の収奪も強化した。
引きつづき日帝は太平洋戦争を挑発し戦争物資収奪に狂奔した。すべての金属製容器を強制的に供出させたが、農具、食器、祭器はもちろん、教会や寺院の鐘までも徴発し武器の製作に用いた。
そして日帝はわが国の青壮年と婦女子まで日本、中国、東南アジア、サハリンなどへ強制動員し戦争に投入したり、労役に従事させたりした。
[資料:米穀生産量と強制供出量]
2 民族の試練
概要
20世紀に入って日帝の侵略行為が本格化するにつれ、わが民族は政治、経済、社会、文化の各方面において自主権を侵奪された。
日帝はわが民族の抵抗を武力で弾圧し、われわれの主権を侵害する各種の条約を強要したうえ、最後には国権までも強奪し植民地にした。そして植民政治機関として朝鮮総督府を設置し、協力な軍事力を背景に世界でその類例のない武断政治をほしいままに行った。
これに対してわが民族は挙族的な抵抗をしたが、日帝は植民統治方式を変えて、わが民族を離間、分裂させようとした。さらにより強圧的に民族を弾圧し、韓民族の文化と伝統を抹殺しようとした。
また、日帝は大陸侵略を強化し、韓半島を兵站基地にしていったが、これによってわが民族は人的・物的資源を収奪され民族の生存権まで脅威にさらされた。
◇研究課題◇
1 日帝の国権侵奪はどのような段階を経て行なわれたか。
2 日帝の韓国侵略に対する列強の態度はどうだったか。
3 乙巳条約が無効である理曲は何か。
4 3・1運動以後、日帝の統治方式はどのように変わっていったか。
5 日帝の植民地収奪政策の目的と方法はどうだったか。
大陸侵略と総動員令
第1次世界大戦以後、アメリカの産業は技術の発達と企業の合理化によって生産力が高まった。しかし、商品の購買力が生産量に追いつかず、供給過剰現象をまねき、1929年ニューヨークの証券市場で株価が急落し、経済恐慌が起こった。この恐慌は急速に世界各国に波及し、経済破綻をもたらした。
経済基盤の弱かった日本も大きな打撃を受け、都市失業者が増加し、農村経済が崩壊し、罷業と小作争議が頻繁に起こり、社会不安が増大し、政府に対する不信は日ごとに高まっていった。
この過程で日本軍部は政変を起こし実権を掌握し、経済恐慌の打開策として大陸侵略を敢行し満州事変を起こした。そしてわが国を大陸侵略の兵鈷基地にし、経済的収奪を強化した。
日帝の経済侵奪は1930年代に入って新しい様相で展開した。日帝は産米増殖計画が困難に直面すると、工業原料増産政策に方向を換え、綿花の栽培と綿羊の飼育を試みる、いわゆる南綿北羊政策を立て、これをわが農村に強要した。
また、日帝は侵略戦争のために発電所と軍需工場を建て、鉱山を開発し、金属・機械・重化学工業を育成した。しかし、これらはすべて日帝の戦争遂行のためのものであって、韓半島の経済を植民地経済体制にいっそう徹底的に隷属させるものであった。
中日戦争を起こし、大陸侵略を本格化した日帝は、国家総動員令を下し、韓国で人的・物的資源の収奪を強化した。
日帝は軍糧確保のために、中断していた産米増殖計画を再開し、目標量を定めて各道に割り当て、これをまた府・郡・邑・面を経て各村、各個人にまで割り当てた。また、消費規制を目的に食糧配給制度を実施し、さらに米穀供出制度も施行した。そして総督府は日本軍の軍需品に充当するために各種家畜増殖計画を立て、家畜の収奪も強化した。
引きつづき日帝は太平洋戦争を挑発し戦争物資収奪に狂奔した。すべての金属製容器を強制的に供出させたが、農具、食器、祭器はもちろん、教会や寺院の鐘までも徴発し武器の製作に用いた。
そして日帝はわが国の青壮年と婦女子まで日本、中国、東南アジア、サハリンなどへ強制動員し戦争に投入したり、労役に従事させたりした。
[資料:米穀生産量と強制供出量]
これは メッセージ 141773 (nannsennowari さん)への返信です.
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