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併合の理由(ロシア脅威説)

投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/09/27 14:02 投稿番号: [1381 / 230347]
  今現在最も多く語られ、妥当性が感じられるのが「ロシア脅威説」です。ロシアの南下政策が日本に対する
脅威であり、朝鮮がロシア支配下に入った場合、日本までがロシアの直接の脅威にさらされると考え、少なく
とも親日的な政権を朝鮮に樹立しようとしたが、親日派の開明派は守旧派に敗北。日本に対抗しようとする守
旧派が却ってロシアに保護を求めようとしていたため、日本は朝鮮の保護国化を進め、さらにはそれが併合と
いうことになった、というのが大まかなこの説の流れです。

  実際、ロシア帝国は国策として拡張主義を採り、アジア方面へもシベリアへ、そしてシベリア以東、沿海州
へ、また更に南へと領土拡張及び不凍港獲得のため進出を続けてきました。ロシア帝国と清との領土条約を見
ても、それは明らかです。
・1689   ネルチンスク条約
・1727   キャフタ条約    
  …清帝国が強大だったせいもあり、外蒙古の北方、北緯50度線のあたりで、南北に清と境界を定める
・1858   アイグン条約
  …アヘン戦争(1840~42)で敗北した清に対し、黒龍江以北をロシアに割譲させる。
(同年   天津条約(対   英仏米露))
・1860   北京条約
  …英仏軍北京占領という事態の下で、沿海州(Vladivostokを含む)をロシアが清から割譲させる。
  (ロシア語で「Vostok」の意味は「東」、Vladivostokは「東の領地」、一説には「東方を征服せよ」の意)
(1875   千島樺太交換条約   露・日)

  ロシアは1891年に露仏同盟を結び、またこの年にシベリア鉄道を着工。南下政策を継続します。
  日清戦争(1894~95)後に下関条約で遼東半島(朝鮮半島の付け根の大陸部分)を獲得した日本に対し、ロシア
は仏独を誘って「三国干渉」という脅しをかけ、日本は遼東半島を返還しました。
  1896年には露清密約がなり、東清鉄道敷設の契約が密かに行われました。また朝鮮に関して、同年の日露協商
で「共同保護」ということで一応の決着をつけましたが、これは両国にとっては時間稼ぎの面が強く、ロシアは大韓帝国(1897〜)から鉄道敷設権を獲得したり、日本に返還させたその遼東半島の旅順・大連の両都市の租借
(1898)などして、朝鮮半島以南への全面進出の期を窺っていました。
  日本は露仏同盟などに対抗するため1902年日英同盟を締結。それを背景に1903年、韓国に関する第一回日露
交渉に臨みますが交渉は不調に終わります。
  そして1904年2月に日露戦争が始まり、日本は(戦地となる要衝を押さえるため)大韓帝国政府を脅して日韓
議定書(攻守同盟)に調印させます。
  日露戦争が日本の優勢のうちに終わる(1905.9ポーツマス条約)と、同年11月に第2次協約によって韓国の
外交権を日本が全面的に掌握(乙巳保護条約・保護国化)し、さらに1907.3には第3次協約(内政監督権掌握)
を結んで韓国の内政まで統監の指揮下におくことにして、韓国軍隊の解散を行います。
  そして1909年10月には統監を退いたばかりの伊藤博文がハルビン駅で韓国人に暗殺される事件が起き、1910年
(明治43年)8月22日「日韓併合に関する条約」が、続いて同29日には「日韓併合に関する宣言」が調印、発表
されたのでした。これにより1392年から続いた李王朝は完全に消滅します。

  後々のことを考えれば、朝鮮の保護国化のあたりで歯止めを掛けておくべきだったような気がしますが…
  併合理由の「ロシア脅威説」の概略と、歴史的経緯はこんなものです。
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