独島問題
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/12/27 09:45 投稿番号: [130955 / 230347]
「竹島の日」に指定された2月22日は、100年前に日本が独島を自国の領土として強制編入したまさにその日である。日本のこのような行為は、わが民族の解放の歴史を否認して、
過去の侵奪行為を正当化しようとするものではないのかという疑念をかきたてている。独島は国権喪失の時代に、わが国の領土の中でも最初に日本によって不法に編入され、1945年、解放によって取り戻されたわが国の土地であるからである。
6世紀以来わが国の領土であった独島が、
日本によって強制編入された歴史的経過を振り返るならば、この問題の本質が単なる韓日間の領有権の次元を超えて大韓民国の主権回復と直結した問題であるということを明白に知ることができる。
1904年1月に勃発した露日戦争は、
日本の韓半島侵略と大陸進出のための戦争であった。日本はソウルに軍隊を駐屯させて、事実上の朝鮮併呑に着手した。 同年2月、軍事的必要から朝鮮の土地を任意に収用できるようにした「韓日議定書」が締結された。3月には軍用物資の輸送のために京義線を着工し、6月には西海岸の漁業資源採取権を強奪したのみならず、全国の未開墾地の占有を要求した。また8月には「韓日協定書」を締結して、日本が指名した外国人顧問が朝鮮の財政と外交を監督するという「顧問政治」を実施した。1904年5月、日本はロシア極東艦隊の南下を牽制するために、高宗皇帝を脅迫してロシアから鬱陵島の山林採伐権を剥奪し、9月には鬱陵島の一部を軍用地として強制収用して防塁を設置した。引き続き日本は鬱陵島の属島である独島の編入に乗り出した。
日本の独島侵奪は、何よりもロシアを牽制するための軍事戦略的計算によって周到綿密に進められた。1904年9月、軍艦新高丸が独島を探聞調査し、同年11月には軍艦対馬丸が上陸して防塁設置の可能性を確認して上部に報告した。このような過程を経て、日本は漁民の請願という欺瞞的な形式により1905年1月28日、内閣会議で独島編入を決定し、同年2月22日、島根県告示によって自国領に強制編入したのである。日本は同年8月には独島に防塁を設置し、10月と11月には海底電線を敷設する等、独島の戦略的価値を徹底利用した。このように、独島は日本の韓半島侵略過程において最初に強制占有されたわが国の領土であった。そしてそれは1904年の韓日議定書、1905年の乙巳?約(日韓保護協約)、そして1910年の韓日合邦等、一連の国権侵奪史の延長線上にあった。したがってわが国にとって独島は、単なる領有権問題の次元を超えた歴史的な土地である。
近代史において、わが国の国土が日本の侵略戦争によって蹂躙されたのは1894年からであった。当時起こった清日戦争も同じである。戦争相手国がロシアではなく中国であったために、東海と独島のかわりに黄海と牙山が受難したというだけのことである。日本の侵奪過程においては単に国土だけが蹂躙されたのではない。駐韓日本公使が日本の浪人等を動員して朝鮮の国母である明成皇后を弑逆した1895年の乙巳事変(閔妃殺害事件)は許されざる犯罪的行為であった。これは日本が朝鮮を掌握するために、手段と方法を選ばなかったことを示すひとつの事例にすぎない。要するに日本の独島強制占有は、1894年の清日戦争から1910年の韓日合邦にいたる日本の韓半島侵奪史の中心に位置していたのである。それゆえに独島問題の本質は今なお生きる歴史であり、主権回復の問題なのである。
我政府は日本が東北アジアの未来を共にする宿命的な同伴者であるとの認識の下に、過去を直視しつつも未来に向かっていく姿勢で韓日関係に臨んできた。しかし日本はわが国の未来志向的な新たな政策が模索されている時期に、むしろ韓日友情年の面目を失わせる独島挑発行為をいっそう強化した。これは国際社会の規範と正義、そして歴史的真実に照らして決して正しい行為ではない。我政府は独島問題の本質が日本の植民地侵奪の歴史を克服していく主権回復の問題であるとの認識の下、冷静かつ確固たる対応を進めていく。
過去の侵奪行為を正当化しようとするものではないのかという疑念をかきたてている。独島は国権喪失の時代に、わが国の領土の中でも最初に日本によって不法に編入され、1945年、解放によって取り戻されたわが国の土地であるからである。
6世紀以来わが国の領土であった独島が、
日本によって強制編入された歴史的経過を振り返るならば、この問題の本質が単なる韓日間の領有権の次元を超えて大韓民国の主権回復と直結した問題であるということを明白に知ることができる。
1904年1月に勃発した露日戦争は、
日本の韓半島侵略と大陸進出のための戦争であった。日本はソウルに軍隊を駐屯させて、事実上の朝鮮併呑に着手した。 同年2月、軍事的必要から朝鮮の土地を任意に収用できるようにした「韓日議定書」が締結された。3月には軍用物資の輸送のために京義線を着工し、6月には西海岸の漁業資源採取権を強奪したのみならず、全国の未開墾地の占有を要求した。また8月には「韓日協定書」を締結して、日本が指名した外国人顧問が朝鮮の財政と外交を監督するという「顧問政治」を実施した。1904年5月、日本はロシア極東艦隊の南下を牽制するために、高宗皇帝を脅迫してロシアから鬱陵島の山林採伐権を剥奪し、9月には鬱陵島の一部を軍用地として強制収用して防塁を設置した。引き続き日本は鬱陵島の属島である独島の編入に乗り出した。
日本の独島侵奪は、何よりもロシアを牽制するための軍事戦略的計算によって周到綿密に進められた。1904年9月、軍艦新高丸が独島を探聞調査し、同年11月には軍艦対馬丸が上陸して防塁設置の可能性を確認して上部に報告した。このような過程を経て、日本は漁民の請願という欺瞞的な形式により1905年1月28日、内閣会議で独島編入を決定し、同年2月22日、島根県告示によって自国領に強制編入したのである。日本は同年8月には独島に防塁を設置し、10月と11月には海底電線を敷設する等、独島の戦略的価値を徹底利用した。このように、独島は日本の韓半島侵略過程において最初に強制占有されたわが国の領土であった。そしてそれは1904年の韓日議定書、1905年の乙巳?約(日韓保護協約)、そして1910年の韓日合邦等、一連の国権侵奪史の延長線上にあった。したがってわが国にとって独島は、単なる領有権問題の次元を超えた歴史的な土地である。
近代史において、わが国の国土が日本の侵略戦争によって蹂躙されたのは1894年からであった。当時起こった清日戦争も同じである。戦争相手国がロシアではなく中国であったために、東海と独島のかわりに黄海と牙山が受難したというだけのことである。日本の侵奪過程においては単に国土だけが蹂躙されたのではない。駐韓日本公使が日本の浪人等を動員して朝鮮の国母である明成皇后を弑逆した1895年の乙巳事変(閔妃殺害事件)は許されざる犯罪的行為であった。これは日本が朝鮮を掌握するために、手段と方法を選ばなかったことを示すひとつの事例にすぎない。要するに日本の独島強制占有は、1894年の清日戦争から1910年の韓日合邦にいたる日本の韓半島侵奪史の中心に位置していたのである。それゆえに独島問題の本質は今なお生きる歴史であり、主権回復の問題なのである。
我政府は日本が東北アジアの未来を共にする宿命的な同伴者であるとの認識の下に、過去を直視しつつも未来に向かっていく姿勢で韓日関係に臨んできた。しかし日本はわが国の未来志向的な新たな政策が模索されている時期に、むしろ韓日友情年の面目を失わせる独島挑発行為をいっそう強化した。これは国際社会の規範と正義、そして歴史的真実に照らして決して正しい行為ではない。我政府は独島問題の本質が日本の植民地侵奪の歴史を克服していく主権回復の問題であるとの認識の下、冷静かつ確固たる対応を進めていく。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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