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一度勉強に来てください

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/12/11 13:21 投稿番号: [129046 / 230347]
西大門(ソデムン)刑務所(跡)歴史館

入り口から「日本語ボランティア」というネームプレートを胸につけてた、75歳ぐらいと思われる老人が流暢な日本語で案内を買って出てくれる。おそらく植民地時代に日本語を強制的に覚えさせられたのであろう。ここでのボランティアの老人を皮切りに、今回の研修会では、多くのかたりべ達のお世話になった。

ここ西大門刑務所は、堅固さと、過酷さで有名な、あの網走刑務所の設計者と同一人物が設計したものという事を聞いただけでも震撼する。

韓国人で知らない人はいない「韓国のジャンヌダルク」柳 寛順(ユ ガンスン)は、ここの地下牢獄で過酷な拷問に遭いながら獄死した。その遺骸は日本の官憲によりバラバラに切断され、未だに行方不明である。

資料館には、精巧に作られた蝋人形による様々な拷問の生々しい再現シーンが展示してあり、思わず目を背けてしまう。とりわけショックだったのは、隣室に身内(親や妻子、夫ら)を入れて苦痛の悲鳴をわざと聞かせる拷問である。「孝」を何より重んじ、家族の絆を大切にする韓国の人たちの民族性を逆手にとった方法は、あのナチスでさえも行わなかった陰湿な拷問である。絹を裂くような悲鳴のテープが繰り返し、くりかえし生々しく流れ、その臨場感が残酷さを更に強調する。

また、「立て棺」と呼ばれる拷問部屋は、文字どおり棺桶を立てた形で、全く座ることはおろか、身動き一つできない苦しさを、我々見学者もほんの瞬間体験することができた。そんな瞬時であっても苦痛であるのに、何時まで知れず放置される苦痛を思うと感想の言葉など出てこない。

真っ暗な独房、すし詰め状態で投獄される牢などもまた、実際に見学者も入ることができる。資料館内部は撮影は禁止であるのを、その時は残念に思った。しかし、いまじっくり思い返してみると、それは韓国の人々の我々に対する優しさ故ではなかったかと思い当たり胸が熱くなる。

牢や拷問室の陰惨さに比べて、日本官憲の執務室は対照的に明るく広い。ハンセン病の隔離病棟・死刑場・屍躯門が昔のまま保存されている。当時は屍躯門から屍躯捨て場までトンネルが掘ってあったが、いまは入り口のみになった。

とりわけ死刑場の建物の粗末さが悲しみを誘う。同じ時期に植えた同じ品種の銀杏の樹にもかかわらず、樹木の生育具合が死刑場の内と外で極端に違う。死刑場の内側は生育が悪くか細い。これは、死刑囚達の「恨」(はん)の故と語り継がれている。

死刑囚とは、日本では、独立運動に関係した「不逞鮮人」であり、韓国では、「独立の烈士・義士・英雄」である。このギャップの大きさを、この後もあちらこちらで何度も痛感する。

韓国の幼い子どもも親子連れでここの歴史館の展示を顔を歪めながら見ていく。日本ではこの歴史事実を隠蔽しようと躍起になっている人がいる。「過去に目をつむることは、現在も、そして未来も見えなくなることである。」と言った先達の言葉を思い出す。歴史を大切にし、多くの資料を残し、語り継ぎ、学びつづけて行こうという人々の姿勢を目の当たりに見て、他方では、歴史に学ぼうとしない我が国の姿勢に恥じ入るばかりである。

http://www5.ocn.ne.jp/~jodoji/daigan/korea/korea2.htm
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