Re: 日本文化の起源はウリナラ
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2008/12/10 11:59 投稿番号: [128859 / 230347]
>倭冠の巣窟である対馬島の討伐もした。
「水軍を強化し、性能のすぐれた兵船を大量に建造し、火薬武器を改良して国防を固めた」軍隊がたかだか600強の部隊にボロクソに負けておりますが。
>倭寇の侵略は目立たって少なくなった。
あのーいわゆる前記倭寇の大部分は朝鮮、中国人の密貿易商人ですけど。
しかも日本人の場合は元寇の報復または奪われた家族や仲間の奪還のためですが。よって、この頃の海賊を倭寇と言うかどうか問題視されております。
ついでに言えば前記倭寇は勘合貿易の成立により沈静化。その後室町幕府の弱体化と明の鎖国政策により後期倭寇がおきますがこれも日本で秀吉・徳川政権の成立により国内が安定化、明において戚継光などの活躍、清が貿易再開したため消滅します。
>朝鮮の先進的な文物は
ぜんぜん。当時の東アジアにおける交易のメインは中国貿易であって、朝鮮貿易はそのオマケですが。
>朝鮮と明に対する侵略を準備した。
実のところ最大の原因は朝鮮側の不誠実な外交が問題です。
秀吉の目的は日明貿易の再開であり、朝鮮側にその斡旋を依頼します。もちろんタダではなく、海賊に捕まっている朝鮮人の救助、送還等しております。が、朝鮮側は秀吉の要求を無視し続けた。その結果、秀吉が切れて一種の最後通牒まで出して戦端が開かれました。
>鮮朝廷は倭軍を避けて義州へ避難し
ただの敵前逃亡じゃん。
>全国各地で義兵が立って倭軍とたたかった。
それと同程度に明朝鮮連合軍とも戦い、一般の民衆から略奪行為を繰り広げました。と言うかソウルに一番乗りして宮殿を焼いたのはこいつらです。
>義兵の輝かしい戦果は、海戦での李舜臣の勝利とともに戦況を変えた。
戦況を変えた原因はあんまりにも弱ちいため相手を舐めまくった日本軍の油断と明軍の大規模の介入によるものです・・・ようは朝鮮戦争の国連軍と中国軍の場合と酷似しております。
>倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは
相手の事情(秀吉の病死)で撤退を勝利とは普通言わんのだがな・・・しかも明朝鮮連合軍の上級指揮官はバッタバッタ戦死しまくったのに日本側は極少数しかも、有名どころはゼロ(関ヶ原の戦いの主役ですが)と言う有様ですが。
>朝鮮から活字、書籍
日本人の大部分は中国語読めないから貴族または家康や直江兼続のような漢文オタク位にしか意味ないですけど。そもそもこれ以降日中貿易が再開しますので劣化コピーよりもオリジナルを直接仕入れたほうがマシですが。
>陶磁器などの文化財
確かに陶磁の朝鮮の陶磁器は日本では文化財ですが朝鮮ではただの日常品ですが。それを千利休あたりの茶道の大家が侘びとか寂などと適当なこと言ってプレミアをつけ、高値で売買した結果ですけど。
だから朝鮮における陶磁家は最下層一歩手前ですが捕虜になり日本に来て見ればビップ待遇ですのでほとんど帰りませんでした。一方の中華思想に染まっている儒学者達はさっさと帰りましたが。
>日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
ぜんぜん。日本の場合はハナッから教育大国なので戦乱が終われば自動的に文化的発展を遂げる基盤はありますけど。
実際に江戸時代の庶民文化は朝鮮はおろか中国の文化とは似ても似つきませんけど。
>朝鮮の性理学
残念。その大元である朱子学は鎌倉時代初期に中国からすでに伝わっておりますけど。
「水軍を強化し、性能のすぐれた兵船を大量に建造し、火薬武器を改良して国防を固めた」軍隊がたかだか600強の部隊にボロクソに負けておりますが。
>倭寇の侵略は目立たって少なくなった。
あのーいわゆる前記倭寇の大部分は朝鮮、中国人の密貿易商人ですけど。
しかも日本人の場合は元寇の報復または奪われた家族や仲間の奪還のためですが。よって、この頃の海賊を倭寇と言うかどうか問題視されております。
ついでに言えば前記倭寇は勘合貿易の成立により沈静化。その後室町幕府の弱体化と明の鎖国政策により後期倭寇がおきますがこれも日本で秀吉・徳川政権の成立により国内が安定化、明において戚継光などの活躍、清が貿易再開したため消滅します。
>朝鮮の先進的な文物は
ぜんぜん。当時の東アジアにおける交易のメインは中国貿易であって、朝鮮貿易はそのオマケですが。
>朝鮮と明に対する侵略を準備した。
実のところ最大の原因は朝鮮側の不誠実な外交が問題です。
秀吉の目的は日明貿易の再開であり、朝鮮側にその斡旋を依頼します。もちろんタダではなく、海賊に捕まっている朝鮮人の救助、送還等しております。が、朝鮮側は秀吉の要求を無視し続けた。その結果、秀吉が切れて一種の最後通牒まで出して戦端が開かれました。
>鮮朝廷は倭軍を避けて義州へ避難し
ただの敵前逃亡じゃん。
>全国各地で義兵が立って倭軍とたたかった。
それと同程度に明朝鮮連合軍とも戦い、一般の民衆から略奪行為を繰り広げました。と言うかソウルに一番乗りして宮殿を焼いたのはこいつらです。
>義兵の輝かしい戦果は、海戦での李舜臣の勝利とともに戦況を変えた。
戦況を変えた原因はあんまりにも弱ちいため相手を舐めまくった日本軍の油断と明軍の大規模の介入によるものです・・・ようは朝鮮戦争の国連軍と中国軍の場合と酷似しております。
>倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは
相手の事情(秀吉の病死)で撤退を勝利とは普通言わんのだがな・・・しかも明朝鮮連合軍の上級指揮官はバッタバッタ戦死しまくったのに日本側は極少数しかも、有名どころはゼロ(関ヶ原の戦いの主役ですが)と言う有様ですが。
>朝鮮から活字、書籍
日本人の大部分は中国語読めないから貴族または家康や直江兼続のような漢文オタク位にしか意味ないですけど。そもそもこれ以降日中貿易が再開しますので劣化コピーよりもオリジナルを直接仕入れたほうがマシですが。
>陶磁器などの文化財
確かに陶磁の朝鮮の陶磁器は日本では文化財ですが朝鮮ではただの日常品ですが。それを千利休あたりの茶道の大家が侘びとか寂などと適当なこと言ってプレミアをつけ、高値で売買した結果ですけど。
だから朝鮮における陶磁家は最下層一歩手前ですが捕虜になり日本に来て見ればビップ待遇ですのでほとんど帰りませんでした。一方の中華思想に染まっている儒学者達はさっさと帰りましたが。
>日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
ぜんぜん。日本の場合はハナッから教育大国なので戦乱が終われば自動的に文化的発展を遂げる基盤はありますけど。
実際に江戸時代の庶民文化は朝鮮はおろか中国の文化とは似ても似つきませんけど。
>朝鮮の性理学
残念。その大元である朱子学は鎌倉時代初期に中国からすでに伝わっておりますけど。
これは メッセージ 128850 (kim_taek_joo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/128859.html