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真似ハンのクズがまた出てきた

投稿者: rie2376 投稿日時: 2008/11/22 11:46 投稿番号: [126009 / 230347]
ggg、お前は後から遊んでやるので
静かに待ってろ

gggのようなバカを相手すると、自分も
同レベルになってしまう

まあ、声闘は嫌いでないので自業自得(笑)

そこで気分転換に、書き散らした歴史物から
蒙古襲来の話など

朝鮮も絡んでいるので、満更トピずれでも
ないかと



          蒙古襲来


鎌倉八代執権、北条時宗は決断を迫まられていた

圧倒的な軍事力を見せ付けられた、文永の役から
数ヵ月後フビライ、ハーンからの国書を携えて
使者が到着したのである

使者が口上を述べる

皇帝フビライからの国書である、謹んで
拝読されよ

我が帝国に、叛意無き事示すべし
されば帝国と共に栄えん

時宗は思い悩む

彼の国の強大さは、先の文永の役にて思い知った
このまま軍門に下るか   それとも徹底抗戦か

やがて苦渋の決断を下す

使者の首を刎ねよ!

強大なモンゴル帝国との対決を、決意した
のである

それは日本存亡を賭けての決断であった
大軍で押し寄せるモンゴル軍相手に、勝算は
あるのか

先の文永の役では、惨めな大敗を喫した

モンゴル兵は、連射可能な弓や鉄砲と呼ばれる
爆弾を駆使して、日本兵を蹂躙したのである

博多の街には火がかけられ、女達は多くが
連れ去られていった、これ以上戦えば
生き残る者なし   兵士の一人はそう書き
残している

ところが意外な事に、モンゴル軍はあっさり
引き上げていった、最近の説によれば最初から
威嚇の積りであったと言う

皇帝フビライの狙いは、日本に産するという
莫大な金銀であった、フビライは大モンゴル
帝国を支える為、大量の紙幣を発行していた

紙幣の価値を裏付ける為、交換に応じられる
だけの金や銀が必要であり、日本に目を
付けたのである

今一度使者を送るがよい、よもや逆らう事は
あるまい

その使者は、首を落とされた

時宗も考えられだけの手を打った、モンゴルの
僧を捕らえ来襲の月日をほぼ予測し、身分に
関係なく恩賞を与える事を約束し、多くの兵が
博多に集結した

その博多の海岸線には、防塁が築かれ
文永の役とは比較にならぬ、防御体制が
敷かれたのである

弘安四年五月、朝鮮半島を出発した連合軍
四万は博多に上陸を試みる
しかし防塁に阻まれ、上陸は叶わなかった

沖合いに退却するモンゴル軍に、日本側は
小船で近づき執拗に攻撃を繰り返す

モンゴル軍は大損害を受け、博多を撤退
主力の江南軍十万を待つ為、平戸に引き上げる

やがて江南軍と合流した総勢十四万は
博多に向けて進撃を開始した

日本危うし、有史以来最大の危機が迫っていた

その時神風が吹く、弘安四年七月三十日
凄まじい暴風雨が吹き荒れ、海上は大揺れと
なった

俄か作りのモンゴルの軍船は、木っ端微塵に
砕け散り、多くの兵が海の藻屑と消えていった

残されたモンゴル側の資料によると

十四万の兵の内   帰り着いた者僅か三名   と
云われるほどの凄まじさである

この戦いから三年後、時宗は病に倒れ生涯を
閉じる、蒙古襲来に全精力を使い果たし
疲れ切ったのかも知れない、享年三十四歳で
あった

二度に渡る蒙古襲来を見ていたヨーロッパ人
がいた   フビライに仕えるイタリアの商人
マルコポーロである

イタリアに帰ったマルコポーロは東方
見聞録を記し、日本を黄金の国ジパングと
紹介した

これは多くの冒険家を刺激し、ジパングを
求めて、続々大海原に乗り出していった

1492年、コロンブスは偶然アメリカ大陸を
発見しバスコダガマは、インド航路を発見する

蒙古襲来は、思わぬ所に飛び火しヨーロッパ
大航海時代の口火となったのである
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