Re: 拉致被害者への補償
投稿者: wahaha_wahaha_2008 投稿日時: 2008/10/19 13:41 投稿番号: [121662 / 230347]
「李光洙といえば、朝鮮での第一級の知識人である。かれは「三一運動」の先駆者のひとりであり、『朝鮮日報』の主筆を経歴し、民族啓蒙の第一人者と見られた人物である。創氏改名の申告は開始の当日、すなわち1940年2月21日に48件、翌12日現在39件、あわせて87件あった。これらは「日本名」への創氏を待ち構えていたような人々であろう。ところが、この87件の中に李光洙が含まれ、その創氏改名は「香山光郎」であった。その「香山光郎」という日本名の字義と動機が、朝鮮人としては奇態なほどの傑作であった。(中略)「今から2600年、神武天皇におかれましてご即位なされた処がカシハラで、ここにある山が香久山です。意義深い、この山の名を氏と定めて『香山』としたもので、その下に光洙の光の字をつけ、洙の字は内地式に『郎』とあらためて、『香山光郎』としたのです。」(中略)「私が『香山』という氏を創設し『光郎』という日本的な名に改めた動機は、恐れ多いことではあるが、天皇御名と読み方を同じくする氏名をもつということである。私は深く深く私の子孫と朝鮮民族の将来を考慮した末、こうすることが当然という強い信念に到達したからである。わたしは天皇の臣民である。私の子孫も天皇の臣民として生きるはずである。李光洙という氏名でも天皇の臣民になれないことはない。しかし香山光郎がより天皇の臣民らしいとわたしは信じるからである。」「内鮮一体(ママ)を国家が朝鮮人に許した。・・・朝鮮人が内地人と差別なく生きるほか何の望みがあろうか。差別を除去せんがためにはあらゆる努力を傾けること、これのほかになにがヨリ重要で、緊急であろうか。われわれは日本帝国の臣民である。支那人(ママ)と混同されやすい姓名をもつよりは、日本人と混同する氏名をもつことが最もふさわしいと信ずる。だから私は日本人になる決意をもって香山の姓と、光郎と名付けた。私の妻子もそろって日本式に改名した。これは忠誠の一端として自信したがためである」(李光洙「創氏と私」『毎日新報』1940.2.20からの引用)
●日本の戦後補償?どうもピントこない・・・・
これは メッセージ 120910 (tachstone さん)への返信です.
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