>民族としての成熟度
投稿者: jskdasd2002 投稿日時: 2002/07/31 22:27 投稿番号: [112 / 230347]
民族或いは国家としての成熟度を考えた場合、その尺度の一つとして「言論の自由」があるか無いかではないでしょうか。
「親日派の弁明」は日本人が執筆したものではなく、韓国人が自らの思想を韓国人の言葉で表した著書と言えます。
例えその内容が韓国の体制批判の内容であっても、これを一方的に有害図書として発禁処分にする現在の韓国に「言論の自由」が保証されていると考える先進国は無いでしょう。
勿論、日本でも爆弾の作り方だとか殺人マニュアルだとか社会通念や公序良俗に著しく反する著書は発禁処分にされることはありますが、政府を批判する著書が発禁処分とされることはあり得ません。
ましてや、その執筆者を拘束したり自由な行動を制限することなどは、基本的人権の点からも論外でしょう。
いくら小さい頃から反日的な教育を受けてきた韓国人であっても、その中には「どこかおかしいのではないか?」「我々が受けた歴史教育(歴史認識)は果たして客観的なものなのか?」と言った本質的な疑問を感じる方が少なからずいると思います。
韓国あるいは韓国の人と議論をしようとしても、いつも画一的で同じような答えしか返ってこないことが不思議でなりません。
もし、韓国では自由な思想や自由な体制批判が行えないとすればいつまでたっても先進国の仲間入りをすることはとてもできないでしょう。
また、戦中の日本のように言論統制され体制批判が思うようにできない社会は、非常に「もろい社会」と言わざるを得ません。
これは メッセージ 88 (kokusanwagyuu さん)への返信です.
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