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京都は朝鮮人のふるさと

投稿者: elgfaret 投稿日時: 2008/08/05 22:44 投稿番号: [111956 / 230347]
>>>秦伊呂具、稲荷神社を創建。
伏見稲荷大社の社殿によれば、同年2月7日(初午の日)、稲荷山の杉の木に稲荷神が降臨し、これを目の当たりにした秦伊呂具が山上に社殿を建立しました。伊呂具は、当時京都全域、特に伏見で勢力を誇っていた渡来人、秦氏の族長であった人物。「山城風土記」には次のような伝説も残っています。権勢におごった伊呂具がある時、餅を的に弓を射たところ、餅は白鳥となって稲荷山頂に飛び去り、降りたところに稲が生えました。以後、家運の傾いたのを食べ物を粗末にした罰と考えた子孫達は、稲の生えた場所に祠を建てたというのです。この話からもわかるように、稲荷社の始まりは農耕神でした。

http://kyoto-fushimi-kanko.jp/about.html

>>>秦氏(はたし)
HataShi
  秦氏(はたし)は、5世紀頃に、京都西部の桂川流域と東部の深草の鴨川流域に移住してきた帰化朝鮮人(渡来人)の巨大氏族

  秦氏は、葛野川(かどのがわ)(現在の桂川)流域に移住し、
持ち前の優れた先進的な土木技術を駆使して、葛野一帯を田園地域に変えたといわれる

  養蚕(ようさん)や機織(はたおり)技術を発達させ、
うずたかく絹を積んで朝廷に献上したという産業地帯を生み、その地域は「太秦(うずまさ)」と称されるようになる


【秦氏のゆかりの地】
  <蛇塚古墳>
  秦氏一族の首長墓と推定される京都府下最大の石室

  <蚕の社>


  <広隆寺>
  平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院といわれる
  「日本書紀」によれば、
  603年(皇紀1263)推古天皇11年
  秦河勝(はたのかわかつ)が、聖徳太子から譲り受けた仏像を祀った「蜂岡寺(はちおかでら)」を建てたのが由来
  秦氏の氏寺


  <松尾大社(まつのおたいしゃ)(西京区)>
  701年(皇紀1361)大宝元年
  秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請して社殿を造営した


  <伏見稲荷大社>
  711年(皇紀1371)和銅4年
  秦伊呂具(はたのいろぐ)が、稲荷山の三カ峰(みつかみね)に三柱を創祀したのが由来
  「山城国風土記」逸文によれば、
  秦伊呂具(はたのいろぐ)が、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので「伊禰奈利(いねなり)」と称され社名になったといわれる

  2月の初午(はつうま)の日には
  秦氏を偲び、畑菜(はたけな)の辛子和え(からしあえ)を食べて、伏見稲荷大社へ参拝する
  畑菜は、「秦伊呂具(はたのいろぐ)」の名前からとられたもので、
  稲荷大社に仕える狐の好物の辛子を利かせて食べると縁起がいいといわれる


  <放生院>
  604年(皇紀1264)推古天皇12年
  秦河勝が、聖徳太子の発願により創建する

http://www.kyototsuu.jp/History/HumanHataSi.html




ハイ、田舎もんよ

またの怖〜い事実

勉強しようね

ps
もちろん
神に感謝
仏さまに感謝
世界人様に感謝しましょす
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