福沢諭吉の「脱亜論」に続く「脱韓論」1
投稿者: publicopinion100 投稿日時: 2008/08/03 00:02 投稿番号: [111510 / 230347]
1885年3月16日、福沢諭吉が「時事新報」紙上に「脱亜論」↓を社説として掲載したが、その言わんとするところは123年を経ても、いまだ正しいどころか、ますます国策として強力に推進すべきときにある。特に低脳朝鮮国家に対しては。
---- -
「 ・・・我日本の国土はアジアの東端にあるが、その国民の精神は既にアジアの狭い世界を脱して西洋の文明に移っている。しかしながら不幸なことに近隣にそうでない国がある。
一つを支那と云い、他の一を朝鮮と云う。この二国の人民が昔からアジア流の政治や教育、風俗に養われきた経緯は、日本と異なっているとは言えないが、その人種の由来が特殊なためであったせいか、あるいは同様の政教風俗を持ちながらも伝統的な教育が同じでなかったせいか、日支韓三国が互いに対立し、支那と韓国と類似する点は支那・韓国と日本よりも近い。
この二国の野郎共は、自分のことだけを考え、国政を改め進歩して行こうとする気持ちすらない。交通便が発達した時代にあって、文明国の物事を見聞きししないこともないが、せっかく見聞きしても心を動かすこともなく、その古風な習慣を変えようともしない頭の程度は百千年の昔と変わらない。
いま日々新たに変わり世界情勢にあって、たとえば、教育について論じると、やれ儒教主義だ大事だ、學校の教育原則は仁義智礼が重要だと言い、一から十にいたるまで「外見の虚飾のみ」を大事にし、現実社会にあって眞理原則の知見がないどころか道徳観さえも地に捨てられ残酷で不廉恥を極めている。
その上、うぬぼれまくって自省の念などない低脳者のようである。我輩をこの二国を見ていると文明の中心が西洋から東洋へ移り行く世界の流れのなかにあって、とてもその独立を維持できる道があるとは思わない。
もしもこの二国に高い志をもった者が出現して、政治の改革を手始めとして、わが国の明治維新のように明確な戦略を立て、政府が率先して改革し、先づ政治を改めて人心を一新するが如き活動あれば話は別だが、もしそのようなことが行わなければ、数年以内に国は滅び、その国土は世界文明諸国によって分割されてしまうであろうことが疑いない。
「現在の世界的な潮流になっている文明開化の流行に直面しながら、支韓両国はそれに染まろうともせず、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒息するかのようである。
日本の隣国であるのだからお互いに助け合えばよいのだが、今の支那朝鮮は外を見る目など持たず、日本の手助けになることなど、もちろんしない。
西洋文明人の眼から見れば、三カ国は地理的に近いため、時には同一視し、支韓と同じように評価する。例へば支那朝鮮の政府が古めかしい専制政治体制を続け、法律などあってなきがごとしの国であるが、西洋人から見ると日本もまた無法律の国かと疑う。
支那朝鮮の馬鹿者が思い込みが深く科学が何たるかも知らないのを見て、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思う。
卑屈な支那人が恥を知らないと、日本人の義侠も同じではないかと疑われ、朝鮮国が惨酷無比に人を処刑するのを見て、日本人も朝鮮人と同じように共に情けのない狂人かと推しはかられるなど、事例を枚擧すればきりがない。
これは喩えれば、互いに隣り合って軒を並べる一村一町内の者共が、低脳で無法者で殘忍無情なときは、まれにその町村内の人の正しい行いをしても注意を集めても、他の醜い行いに埋没して省みられないのと同じである。
その影響が現実に現れてきており、間接にわが国の外交上、大いに障害になっている。これは日本国の一大不幸と言わざるを得ない。そうなれば日本が抱いている野望を実現するためには、隣國が改革進歩するのを待っている余裕はなく、むしお西洋の文明国と進退を共にして、支那朝鮮に接するに当たってただ単に隣國だからと特別に配慮することなく、正に西洋人が支那朝鮮に接するようにすればよい。
悪友と親しいからと言って悪友を許す必要もない。私は心底からアジア東方の悪友を謝絶する。」
続く
---- -
「 ・・・我日本の国土はアジアの東端にあるが、その国民の精神は既にアジアの狭い世界を脱して西洋の文明に移っている。しかしながら不幸なことに近隣にそうでない国がある。
一つを支那と云い、他の一を朝鮮と云う。この二国の人民が昔からアジア流の政治や教育、風俗に養われきた経緯は、日本と異なっているとは言えないが、その人種の由来が特殊なためであったせいか、あるいは同様の政教風俗を持ちながらも伝統的な教育が同じでなかったせいか、日支韓三国が互いに対立し、支那と韓国と類似する点は支那・韓国と日本よりも近い。
この二国の野郎共は、自分のことだけを考え、国政を改め進歩して行こうとする気持ちすらない。交通便が発達した時代にあって、文明国の物事を見聞きししないこともないが、せっかく見聞きしても心を動かすこともなく、その古風な習慣を変えようともしない頭の程度は百千年の昔と変わらない。
いま日々新たに変わり世界情勢にあって、たとえば、教育について論じると、やれ儒教主義だ大事だ、學校の教育原則は仁義智礼が重要だと言い、一から十にいたるまで「外見の虚飾のみ」を大事にし、現実社会にあって眞理原則の知見がないどころか道徳観さえも地に捨てられ残酷で不廉恥を極めている。
その上、うぬぼれまくって自省の念などない低脳者のようである。我輩をこの二国を見ていると文明の中心が西洋から東洋へ移り行く世界の流れのなかにあって、とてもその独立を維持できる道があるとは思わない。
もしもこの二国に高い志をもった者が出現して、政治の改革を手始めとして、わが国の明治維新のように明確な戦略を立て、政府が率先して改革し、先づ政治を改めて人心を一新するが如き活動あれば話は別だが、もしそのようなことが行わなければ、数年以内に国は滅び、その国土は世界文明諸国によって分割されてしまうであろうことが疑いない。
「現在の世界的な潮流になっている文明開化の流行に直面しながら、支韓両国はそれに染まろうともせず、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒息するかのようである。
日本の隣国であるのだからお互いに助け合えばよいのだが、今の支那朝鮮は外を見る目など持たず、日本の手助けになることなど、もちろんしない。
西洋文明人の眼から見れば、三カ国は地理的に近いため、時には同一視し、支韓と同じように評価する。例へば支那朝鮮の政府が古めかしい専制政治体制を続け、法律などあってなきがごとしの国であるが、西洋人から見ると日本もまた無法律の国かと疑う。
支那朝鮮の馬鹿者が思い込みが深く科学が何たるかも知らないのを見て、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思う。
卑屈な支那人が恥を知らないと、日本人の義侠も同じではないかと疑われ、朝鮮国が惨酷無比に人を処刑するのを見て、日本人も朝鮮人と同じように共に情けのない狂人かと推しはかられるなど、事例を枚擧すればきりがない。
これは喩えれば、互いに隣り合って軒を並べる一村一町内の者共が、低脳で無法者で殘忍無情なときは、まれにその町村内の人の正しい行いをしても注意を集めても、他の醜い行いに埋没して省みられないのと同じである。
その影響が現実に現れてきており、間接にわが国の外交上、大いに障害になっている。これは日本国の一大不幸と言わざるを得ない。そうなれば日本が抱いている野望を実現するためには、隣國が改革進歩するのを待っている余裕はなく、むしお西洋の文明国と進退を共にして、支那朝鮮に接するに当たってただ単に隣國だからと特別に配慮することなく、正に西洋人が支那朝鮮に接するようにすればよい。
悪友と親しいからと言って悪友を許す必要もない。私は心底からアジア東方の悪友を謝絶する。」
続く
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/111510.html