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清皇帝ホンタイジに土下座した朝鮮王仁祖

投稿者: oakland25jp 投稿日時: 2008/07/21 20:32 投稿番号: [109633 / 230347]
李氏朝鮮は14世紀末の建国以来、明(中国)の朝貢国であったが、17世紀に入ると満州(中国東北部)で女真族が建てた後金が勃興、李氏朝鮮と対峙するようになった。1627年には後金が朝鮮へ侵攻した(丁卯胡乱)が膠着し、両者が兄弟関係を結ぶことで講和した(丁卯約条)。しかし朝鮮では古来から同国にも朝貢に来ていた女真族を「北狄/オランケ」(野蛮人)と蔑すむ考えが多く、とりわけ保守的な儒者は後金との決戦を唱え続けるなど火種はくすぶっていた。

後金は1636年、ホンタイジが皇帝を称し、国号を清と変更すると、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めた。官僚派閥である北人の大北派の主張に沿って中立政策を取った前王の光海君と違い、華夷思想を重んじた西人に支持されて即位した王・仁祖にとって、永く朝貢を受ける相手であった女真族の要求は到底呑めるものではなかった。仁祖が朝貢を拒絶し、清皇帝を認めないと公表すると、激怒したホンタイジは直ちに朝鮮への親征を行った(丙子胡乱)。清の圧倒的な兵力の前に各地で敗北を重ねた朝鮮軍は開戦後40日余りで降伏。和議が持たれた。講和内容は11項目に及び、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的なものであった。そればかりか仁祖は三田渡で、ホンタイジに対し三跪九叩頭の礼(三度跪き、九度頭を地にこすりつける)を以って清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わった。

清皇帝ホンタイジは、自身の「徳」と仁祖の「過ち」、そして両者の盟約を示す碑文を満州語・モンゴル語・漢語で石碑に刻ませ、1639年に降伏の地である三田渡に建立させた。これが「大清皇帝功徳碑」である。

その後、日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制より李氏朝鮮が離脱したのを機に、「屈辱碑」とされていた同碑は迎恩門と同時期に倒され、地中に埋められた。しかし日韓併合後の1913年には引き上げられ、さらに光復後(1945年)に再び埋められたりと何度か滅出を繰り返した後、韓国の「史蹟第101号」(1957年2月1日)に指定された。1963年に洪水で流されたが、ソウル特別市松坡区石村洞 289-3に復元された。「朝鮮の屈辱の象徴」として、移転の願いなどがされてた。[1][2][3]

2008年、この石碑はロッテワールドのビルの裏手、石村湖水西湖の北東側にある緑地帯へ移されることが文化財庁により決定された。石碑の横に建てられていた仁祖が降伏する光景(ホンタイジの前において土下座している描写)の銅板は、文化財的な価値はないとの理由により文化財委員会の判断に基づき撤去されることとなった。[4]


[編集] 石碑の形状等
この碑文は、亀の背の台座(亀趺)の上に碑身があり上部は蛟首である。高さ5.7m、幅1.4m、奥行3.95mで、大理石で作られている。現存のうち1碑は亀趺だけである。

前左側にモンゴル文、右側に満洲文、そして裏面に漢文が刻まれている。3つの言語による碑文の内容は完全に同一意味のものではなく、漢文には朝鮮王臣が文を撰じて刻んだことが記されてあり、満洲文では詳細な経緯も記述されている。


[編集] 碑文大意(漢文)
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。
清国皇帝は、愚かな朝鮮王をたしなめ、この大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
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